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Soulful Fiction Novel Number One 『LOVE(Original Mix)』 A-1



ミラーボールの発明者に、心からの心を込めて本作を捧ぐ。



A-1.Let's Be Lovers

 ふたりが出会った場所はおしゃれな場所ではなかった。むしろ、それはとびきり変な場所だった。それは一見、どこにでもあるような普通のコインランドリーだったけれど、なんと天井にはミラーボールが吊ってあり、DJブースまでもが備えつけられていた。そこでレコードを回していた彼は、店内に入ってきた彼女をひと目見た瞬間、ハートのときめきを感じた。そして息さえ忘れて彼が硬直していると、彼女はにっこり笑って、踊り出したのだった。そのとき彼は、からだの震えではないヴァイブレーションを感じていた。世界とひとつになったような気がしていた。彼の心に浮かんだ言葉は、

LOVE


であった。

そう、これはLOVEについての物語である。



 時を一ヶ月ほど巻き戻そう。
 東京都K市の住宅街に、そのコインランドリーはあった。もっともそのときは、まだミラーボールもなければDJブースもなかった。内も外もごく普通のコインランドリーだった。今年で創業42周年を迎えるその老舗の名前は『らぶ』といった。これはなんと店主の苗字である。真実真正である。珍しい苗字だが本当に存在するのである。ちなみに“羅武”と書く。さてこの物語の主人公、羅武カツオは『らぶ』の二階に住んでいた。羅武一家の長男にして、26歳/実家暮らし/ニートというなかなかの役満ぶりを発揮している彼は、そのじつひそかに焦燥感を抱いたりしている。とかそんなことはなくって、昼日中からビールを飲んだり、マイ風呂桶を持って銭湯に行ったり、6畳半の部屋で自慢のDJミキサーUrei 1620をたくみに操りディスコを流して悶絶するなど、たわけた日々を過ごしていた。

 父・イワオはそんな彼が心配でならなかった。イイ歳こいて放蕩生活を送るドラ息子の行く先を、陰ながら案じていたのである。イワオは十数年前に妻・ミユキを亡くしてからというもの、三人の息子を男手ひとつで育て上げてきた。決して裕福ではなかったが苦労させたつもりはなかった。その結果、次男・モリオは大企業の営業マンに、三男・イクオは市役所の職員になった。

 だがしかし、長男・カツオは高校を卒業してからというもの、ずっとぶらぶらしていた。ごくまれに日雇いのバイトに行くぐらいで、それ以外はずっとぶらぶらしていた。

 なぜ、カツオだけがこんなことに?

 完全無欠のドラ息子にイワオはいつも頭を痛めていた。そのせいか、イワオは今年の三月、自宅の風呂場で脳卒中を起こして死んだ。あまりに突然すぎる死だった。

 イワオは遺書さえ残していなかったため、ひととおり葬儀がすむと三人の兄弟は家族会議を開いた。ともに既婚者であり生活基盤の固まっている弟たちは『コインランドリーは閉店するしかない』と主張した。しかしカツオはこれに真っ向から反対し、なんと自分が店を継ぐと宣言したのである。弟たちは大いに面食らった。なにしろカツオはこんにち26歳になるまでずっとズブズブのニートで、『家業を継ぐ』などとはこれまで一言もいったことがなかったからだ。

 まさかのカツオの立候補にふたりの弟は驚き慌て、そして必死にカツオを説得した。しかし、カツオの意思は固かった。『父親の誇りであったあの店を潰すワケにはいかない』とカツオは主張し、『とはいえ伝統に縛られていては時代に取り残されてしまう。なにか新たなるサムシングが必要である。あの店を自分なりの方法で生まれ変わらせたい』と熱弁をふるった。コインランドリーというのは立地と設備がほとんどすべてであって、新たなるサムシングなどは必要ないのだけれども、とにもかくにもカツオの意思は固かった。必死に説得を続けていた弟たちもついに折れ(つーか面倒臭くなって)、『らぶ』の経営権はカツオが握ることになったのである。

 さてカツオはここで思案した、はたして新たなるサムシングとは何であろうか。他の凡百のコインランドリーと一線を画すにはどうすればよいか。

 カツオは昼日中からビールを飲んで考えた。

 銭湯に浸かりながら考えた。

 そして6畳半の部屋で自慢のDJミキサーUrei 1620をたくみに操りディスコを流して悶絶していたとき、カツオの脳裏に天啓がひらめいた。

 ——コインランドリーの天井に、ミラーボールを吊るしてみてはどうか?

 実はカツオは常々『らぶ』を見ながら思っていたのだ、ここはまるでクラブのようではないか、と。床のタイルは赤と白の市松模様だし、ハンガーを模した看板はネオンサインだし、座って休めるソファもあるし、そもそもドラム式洗濯機の形状がウーハーに似ているし。そんな『らぶ』の天井にミラーボールが吊るしてあったらステキではなかろーか。そう考えたカツオはさっそくAmazonで直径50センチのミラーボールを注文し、届いたそれを天井から吊るした。回転するミラーボールがまばゆいばかりの光で洗濯機を照らしあげるさまを見て、カツオは腕組みしながら満足げにうなずいていたが、やがてすぐに首をひねった。

 ——ダメだ。まだ何かが、まだ何かが足りない。

 一体何が足りないのかカツオは考えた。その結果、『音楽』という答えにたどりついた。ミラーボールがあるところには必ず音楽がある。音楽がなければミラーボールは単なる珍奇なオブジェでしかない。これはなんとしても音楽が必要だ。NO MUSIC,NO MIRROR BALL。思い立ったが吉日、さっそくカツオは手ずからリフォームを施し、なんと店内にDJブースをこしらえた。ターンテーブルも二台揃えた。その中央に鎮座ましますのは当然、自慢の名器Urei 1620である。かくしてミラーボールとDJブースが設えられた店内を眺めながらカツオは決意した。

 ——毎週末、ここでDJイヴェントをやろう。

 もちろんDJとは、カツオ本人である。だってギャラなんか払えっこないし。というか前からDJ、やってみたかったし。カツオは翌々週末にイヴェントを開催することにした。

 かくしてカツオは宣伝活動に勤しんだ。手描きのイラストを添えたフライヤーを配り、フォロワー4のTwitterアカウントで【拡散希望】ツイートをし、さらには魔法のiらんどでホームページをこさえ、そのQRコードをステッカーにして街中にボムりまくるというガッツ精神に溢れた行為にさえ及んだ。もちろんヤマダ電機のPC売場にあるパソコンでそのホームページを開くのも忘れなかった。とにかく宣伝宣伝、カツオは寝食も忘れ気味で宣伝活動に没頭した。

 そしてついに記念すべきイヴェント第一回目の夜、開演予定時刻19時、その15分まえにカツオは『らぶ』の店内に足を踏み入れた。まぁ“足を踏み入れた”といっても、そもそもこの店自体がカツオんちなのだが。カッコつけてサングラスをかけ、レコードバッグを提げて意気揚々と入店したカツオは、店内を一目みて驚いた。

 客、ゼロ。

いや違う、よく見たら隅っこのほうに一人だけおじさんがいた。でも十中八九イヴェント目当ての客ではなかった。まるで落ち武者のようなヘアスタイルをしているし、ブリブリの肥満体型なのにピチピチの水色ジャージを着ているし、ていうかスツールに座って“漫画ゴラク”を読み狂っているし、そもそも顔がドラクエのポイズンリザードに似ているし(関係ない)。

 カツオはがっくりと肩を落としながらサングラスを外すと、とぼとぼとDJブースに向かって歩いていった。そして店内の照明を落とし、ミラーボールを回転させた。おじさんはハッと顔を上げ、降り注ぐ銀色に砕けた光を目を細めて見つめた。そしてカツオはターンテーブルを作動させると、バッグからレコードを一枚抜き取り、そのジャケを見つめながらため息をついた。そして力なくターンテーブルにレコードを載せると、ガラッガラの店内をあらためて見回し、咳払いをして、MCを始めた。

 記念すべき最初の夜の、最初の曲をかける前は、ぜったい、何が何でも、どうしてもMCをやりたかったのだ。たとえ、客がドラクエのポイズンリザードに似たおじさん一人しかいなくとも。

「えー、どうも、本日は『らぶ』に御来店頂き、誠にありがとうございます。ピース!!

 そしてカツオはピース・サインを高々と掲げたが、店内はおそろしいほど静まり返っていた。擬音でいうなら“シーン”を軽く飛び越えて“サンッ!!”という感じだった。

 耳が痛くなるほどの、冷ややかな沈黙。

 カツオはゆっくりと手を下ろすと、またしゃべり始めた。もうほとんどヤケであった。

「……はいっ、というワケでございましてですねっ、サタデーナイトは大フィーバー、恋路はいつもリアス式、そこのけそこのけ戦車が通る、馬鹿が戦車(タンク)でやってくる! 今晩もソウル・ミュージックのお時間がやってまいりました! 全国津々浦々コインランドリーは数あれど、洗濯機が回り、ミラーボールが回り、ついでにレコードも回っちゃうのは当店だけ! みなさま、どうか、どうか、二時間ポッキリのアーバン・ナイトをとびきりホットに過ごしてチョーダイ!!!」

 最後のほう、カツオはほとんど絶叫に近いテンションで声を張り上げたが、それでも店内は静寂に満ち満ちていた。ただおじさんが一人、“いったい何が起こってるんだ”という顔でこちらを見つめているだけだった。カツオはレコードに針を落とすと、静かな口調でいった。

「記念すべき最初の夜の、最初の曲はこれにするってずっと前から決めていました。ブラック・ハーモニーで“レッツ・ビー・ラヴァーズ”」

 そしてスピーカーから4カウントののち、甘く切ないコーラスが流れ出した。カツオは大きくため息をついた。

 ——なんだよ、これ。なにやってんだよ、おれ。

 見当違いだった。

 完全に失敗だった。

 コインランドリーに新たなるサムシングなど必要なかったのだ。

 事ここに至り、カツオはようやくそれに気づいたのであった。

 そしてカツオがまたぞろため息をつき、目を伏せた、まさにそのときだった。サビ前の一瞬のブレイクとともに、ひとりの客が、店内へと入ってきたのである。それは、車椅子に乗った女の子だった。歳はハタチぐらいだろうか、肩ぐらいまである髪をオレンジ色に染め、両耳にばちばちピアスを開け、『GGアリン』のTシャツの上に擦り切れた革ジャンを羽織ったその女の子は、膝の上にIKEAのビニールバッグを載せたまま、しばし店内を見回していたが、やがてDJブースに立っているカツオに目を止めた。カツオは心臓が『ヒュッ』となるのを感じた。なぜって、その女の子が信じられないぐらい可愛かったからである。

「ねえ、何これ?」


 ふいに女の子がカツオに尋ねた。まるで鈴を転がしたような透き通った声だった。声まで可愛いというのか。混乱したカツオはうまく反応できなかった。


「……え?」
「だからー、これどういう状況なのー?」
 女の子が聞き返した。カツオは目を瞬かせながらしどろもどろで答えた。
「いやっ……その、イヴェント、ですけど」
「いゔぇんと?」
「そう、イヴェント。毎週土曜の夜は、こうやってDJやるんです、おれが」
「コインランドリーなのに?」
「コインランドリーなのに」

 女の子はしばし目を丸くしていたが、やがてケラケラと声をあげて笑い始めた。


「やばいね。超うける」


 そして女の子は笑いながら洗濯機にビニールバッグの中身を放り込むと、コインを投入し、洗濯を始めた。カツオがポカンと見つめていると、女の子はその場でくるりと反転し、車椅子を漕いでミラーボールのちょうど真下に躍り出た。そして女の子はカツオの目を見てにっこり微笑むと、両手を掲げてダンスを始めた。

 カツオは息さえ忘れて、ただ女の子が踊るさまを食い入るように見つめた。カツオはからだの震えではないヴァイブレーションを感じていた。世界とひとつになったような気がしていた。彼の心に浮かんだ言葉は、

LOVE


であった。

 やがて景色は次々に消し飛び、気がつくとどこまでも真っ白な空間にカツオは立っていた。その無限に広がる真っ白な世界には、回る洗濯機、回るミラーボール、回るレコード、そして踊る女の子のほかには何もなかった。いや、隅っこのほうにおじさんがいた。何ならおじさんもちょっと肩を揺らしていた。

 そしてカツオと女の子は見つめあった。

 カツオの頭はパカンとはじけて、そこから紫のけむりが溢れ出た。やがてカツオはふらふらと、まるで吸い寄せられるかのように、女の子のほうへ歩き出した。そして女の子のまえで止まると、音楽に合わせて、踊った。悶えるように、踊った。

 その様子を見て女の子はまた笑い声をあげた。カツオもつられて笑った。そしてふたりは笑い合いながら、ずっと、ずうっと踊り続けたのであった。

 やがて曲が静かにフェイドアウトすると、世界は滲むようにその色彩を取り戻し始めた。訪れた静寂にふたりはちょっとびっくりしながら、でもそれがおかしくてたまらないという感じで顔を見合わせた。
「……ふふー。なにこれ。めっちゃうけるね」
 そういいながら口元に手を当てて笑う女の子に、カツオは目を輝かせてうなずいた。
「……うん、うける」
 そしてカツオは腰に手をやると、女の子を眺めてしみじみ言った。
「いやぁ、なんていうか……その、君みたいなひと、初めて見た……」
「君みたいって、どーゆーこと?」
「だからさ、その、つまり……さ……」
「あ、いま車椅子見たでしょ」
 突拍子もない言葉にカツオは慌てて首を振った。真実真正、カツオはこの瞬間まで女の子が車椅子であることも忘れていたのだ。カツオにとってこれはそういうレヴェルの話ではなかった。
「みっ、見てない見てない見てないよ!」
「車椅子なのに踊るんだとか思ったー?」
「お、思ってない思ってない思ってないよ! 何言ってんの!?」
「足が不自由でもねー、踊りたいときはあるんだよー」

「いっ、いやっ、だから、そんな車椅子がどうとか、そういうのじゃないからっ! そんなこと思うワケないじゃん! 何言ってんの!? 何言ってんの!? そんなこと思うワケないじゃん! 何言ってんの!? 何言ってんの!? 何言ってんのマジで!?」


 カツオが声を荒げてそう言うと、女の子は目を丸くしたあと、ぷっと吹き出した。


「……ふっ、ふふふっ、冗談だよ。からかってごめんよー」
 イタズラっぽく笑う女の子を見ながら、カツオは額の汗をぬぐった。
「い、いやあ〜〜〜〜〜。お、おどかすなよも〜〜〜〜〜。いまマジ超脇汗かいた〜〜〜〜〜〜〜。喉乾いちゃったよ(?)」
「ふふ。いつも使ってるコインランドリーが閉まってたからさ、初めてここ来たんだけど……ここ、こんなだったの?」
「いや、今日から。おれが店継ぐことになったからさ、リニューアルオープンしたんだ」
「コインランドリーを、クラブみたいに?」
「コインランドリーを、クラブみたいに」
「なんで、そんなコトしようって思ったの?」
「なんで、って……そんなの、うけるからに決まってんじゃん」
「あはっ」女の子がはじけるように笑った。「確かに、うけるよ。ここ」
「ありがとう。あのさ、これさ、毎週やるからさ……よかったら、また来て」
「んー。考えとくねー」
 そのとき、洗濯終了を告げる電子音が鳴り響いた。女の子は小さく『あ』といって、カツオに背を向けて洗濯機へと向かった。女の子はテキパキとビニールバッグに洗濯物を詰めると、小さく手を挙げて言った。
「じゃあね」
「あ、ああ、ウン。じゃあ、また」
 そして女の子が自動ドアから出ていこうとしたとき、カツオは声を張り上げた。
「あのっ!!」
 女の子はゆっくりカツオのほうを振り返った。
「……なにー?」
「あの、おれが、さっき言いたかったのは……きみは、めっちゃ最高、ってことだよ」
「……ありがと。このお店もかなりサイコーだよ」

 そして女の子は去っていった。自動ドアが静かに閉まると、カツオはなんだか取り残されたような気持ちになった。ミラーボールの真下で、カツオはしばし立ち尽くしていた。まだ店内にいたおじさんは注意深くそれを見守っていた。やがてカツオは顔を伏せ、大きくため息をついたのち、力なく顔を上げた。すると、先ほど女の子が使用していた洗濯機の中に何かがあることに気づいた。

「あ……?」


 カツオはよろめきながら洗濯機へと向かった。そして丸窓を開けてその何かを取り出してみた。それは黒のブラジャーであった。熟練の職人が丹精込めてハンドメイドしたのではないかというぐらい絢爛なそれを、カツオはしばらく無言で観察していたが、やがてハッと我に返った。


「いや違うっ!」


 そしてカツオはブラジャーを握り締め、店の外へと飛び出していった。いつの間にか夜は深まっていて、立ち並ぶ家々は折り重なって眠る獣のように見えた。カツオはあたりをぐるぐる見回してみたが、女の子の姿はすでになかった。ただ、濃紺の闇が夜道に広がるばかりであった。カツオはブラジャーを握りしめたまま立ち尽くした。店の中からおじさんが注意深くそれを見守っていた。



♪Sound Track : Let's Be Lovers/Black Harmony




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