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"すばらしか"のライヴに行ってきた

 マネーが足りないのはいつものことだが、何だかどうもダンスが足りてねえ。どこか踊りに行きてえ。


 と思ったのは月曜の午後なのだが、当方貧乏/ヒマのみというオーソドックスなタイプの無職なので、さてどうすっぺかと思案していたところ、下北沢シェルターで“すばらしか”のワンマンギグが投げ銭形式で行われるというので、こりゃ重畳ってんでノコノコ出かけていった。


 というのは嘘で、フツーに数日前、友達にチケット予約してもらって行ったんだけど、超よかった。マジですげー超よかった。すばらしかのライヴを観るのはこれで三度目だと思うが、相変わらず最高だった。演奏うめえし音もいい。とくにギターの音めっちゃいい。


 踊った。思う存分踊った。楽しくて楽しくて笑顔が止まらなかった。


 ぜんぶ終わってライヴハウスを出たあとも僕の笑顔は止まらず、『いや~(笑)』とかいっていました。顔をクシャクシャにして、熱燗で一杯やってるオヤジみたいに。


 以下、すばらしかへの美辞麗句を矢継ぎ早に書き立てるが、普遍的かつ素晴らしいロックンロールに対する賛辞などというものは出尽くしているので、ごくごくありきたりな表現がつづくと思う。でも真面目に、自我の底から語るので聞いてほしい。


 すばらしかの音楽は基本的にはスリーコードのロックンロールだ。スリーコードのロックンロールの奥深さたるや凄い。


 譜面的にはほぼ同じことをやっているはずなのに、ムッチャクチャカッコいいバンドと、全然何も感じないバンドがいる。すばらしかはもちろん前者である。スリーコードのロックンロールをやっているバンドはたぶん現在地球上に100万ぐらいいるだろうが、その中でも最上級のモノではないだろーか。キース・リチャーズの有名な言葉に『ロックはいいけどロールはどうした?』というのがあるが、すばらしかはロールしている。マジで超ロールしまくっている。適度なキレと圧倒的なコクがある。ギターヴォーカルの方が取るソロの、若干の過入力感もすごくいい。バック・トゥ・ザ・フューチャーのマーティ・マクフライを思わせるような、パッションが溢れている感じがなんというかとても信用できる。後ノリのクロいヴォーカルもいいし、朴訥で不器用な感じのMCや、ギターの音に“顔がついていく”ところもすごく良い。


 すばらしかのライヴを観るたび、ロックンロールってこういうことだよね。と思う。

 ベースの方がベストを着ていたり、ドラムの方が丸型サングラスをかけていたり、ベースとギターが一本のマイクでコーラスしたり、なにからなにまで完全に正解としか言いようがない。アンコールのラス曲ではなんと『ジョニー・B・グッド』をやっていた。いま、アンコールで『ジョニー・B・グッド』をやって、これほど説得力をもたせられる若手のロック・バンドは世界広しといえどそんなにいねえんじゃねえだろうか。まったく、そんなの踊らないワケがない。


 楽曲はT-REXやサンハウスやストーンズやスライダーズを想起させる、いなたくて、やさぐれていて、とっぽい、ドゥービー感のあるロックンロールなのだけれど、ショーケンとか松田優作みたいな“ハマの香り”もする。それでいてツェッペリンっぽい、キメが変則的で重心が低い、単音リフのハード・ロックなんかも演ったりする。にもかかわらず歌詞は不思議なユーモアとシュールさに満ちている。伝説のロック・バンド、村八分を“ひらがなロックンロール”と称する向きがあるが、すばらしかも紛れもなくその系譜に属する詞世界をもっていると思う。



 今回のワンマンギグは、すばらしかの魅力のひとつである、レイドバックした歌モノ(本当に絶品。“悲しみなんてしょせん”とか本当に素晴らしい)はあんまり演ってなくて、かなりダンス仕様のセットリストだったのも興味深い。


 かつてジョン・レノンは『概念的に言ってロックンロールほど素晴らしいものはない』といったし、ピート・タウンゼントは『ロックンロールはオマエの悩みを解決しない。ただ悩んだまま踊らせるんだ』といったが、貧乏/ヒマのみというオーソドックスなタイプの無職である僕は、いろ~んな悩みをほっぽり出して、すばらしかの普遍的で圧倒的なロックンロールで、たっぷりと心ゆくまで踊ったのであった。やっぱ、踊らないとダメんなる。マネーが足りないのはいつものことだが、ダンスは絶対に欠いてはならぬ。

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