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Soulful Fiction Novel Number One 『LOVE(Original Mix)』 B-4




ミラーボールの発明者に、心からの心を込めて本作を捧ぐ。



B-4.I Will Always Love You


 土曜の午後六時五十分。
 カツオは楽屋代わりの自室でひとり、畳の上であぐらをかいて瞑想していた。これからとんでもないことをしでかそうとしているにも関わらず、カツオの心は落ち着き払っていた。途方もなく広がる“無”の中をカツオは漂っていた。不安も、後悔も、憐憫も、焦燥もなかった。命は夢に過ぎず、時間はまやかしに過ぎず、自我さえも想像に過ぎなかった。カツオはミドル・テンポの心音に耳をすませながら、五体と六感のすべてが混じり合う第七官界で、ゆっくりと振動するエネルギーを感じていた。そして、カツオが目を見開くと同時に、部屋の扉が開いてタケフミが顔を出した。

「らぶやん、出番やで」

 カツオはゆっくり立ち上がると、姿見のまえに立ち、己の姿を見つめた。胸に大きく赤字で“LOVE”とプリントされた黄色いTシャツに擦り切れたベルボトム・ジーンズ、そして昨晩ブリーチした金色のモヒカン頭をただじっと眺めた。そしてカツオはジーンズのポケットからミラーボール柄のハチマキを取り出すと、それを額にぎゅっと結んだ。タケフミは扉にもたれかかりながら言った。

「めちゃめちゃ凛々しい顔になっとるな」

 カツオはタケフミを向き直ると無言で親指を立てた。タケフミは愉快そうに笑って肩をすくめた。

「取り返しつかんこと、しようや」

 カツオは無言のままタケフミを両手で指さし、歩き出した。

 階段を降りるあいだ、カツオの脳裏ではこの数日間の出来事が走馬灯のように瞬いていた。警察が現れた瞬間に即終了となるこのゲリラ・パーティーをどう遂行するかについて、カツオとタケフミはギリギリまで話し合いを重ねた。警察に対する撹乱工作を行うべきか、いっそ店をバリケード封鎖すべきか、膝を突き合わせて真剣に話し合った。そして導き出された結果は、“何もしない”ということだった。具体的な宣伝も行わなかった。ただ、“らぶ”の店内の写真に、“one love in this place”というキャプションを添えたものをインスタのストーリーに上げただけだった。カツオは何者も拒みたくなかったのだ。イヴェントを握りつぶそうとする国家権力でさえ快く迎え入れようと思ったのだ。さえぎる壁も、つまずく段差もないフラットなフロアを、最後の最後まで堅持しようと決意したのだ。その結果、たとえ客が一人も来なくとも、一曲もかけることなく警察に拿捕されようとも構わなかった。ただ、そこに在ろうと思ったのだ。回りながらキラキラ輝くミラーボールのように。


 そしてカツオは“らぶ”のまえで立ち止まると、目を閉じ、深呼吸したのち、ゆっくりと店内に足を踏み入れた。扉が開くなり、ワッという歓声がビリビリ響き渡った。狭いフロアにはたくさんの人々がひしめき合い、みな一斉にカツオの登場を讃えていた。過去最高の“入り”であることは一目瞭然であった。しかしその狂騒を目にしてなお、カツオの心は凪いでいた。カツオは人波をかき分けながら泳ぐようにDJブースへ向かうと、卓の上に両手を置き、フロアを眺め回した。アイの姿は、なかった。けれども、構わなかった。カツオにとってもはやそれは大した問題ではなかった。音楽は偏在性を強く示す営みで、時空を超える力を持つ。1977年のパラダイス・ガラージのラリー・レヴァンのDJプレイは、1950年の北極にも、2021年の東京にも、2100年の火星にも届くのだ。たとえ彼女が今ここにいなくたって、彼女に音楽を届けることはできるのだと、カツオは心の底から確信していた。そうしてカツオは、バキバキに開いた瞳孔を向けて今か今かと開演を待つクラウド全員に向かって高らかに叫んだ。

「えー、どうも、本日は『らぶ』に御来店頂き、誠にありがとうございます。ピース!!


カツオがピース・サインを掲げると、客もすかさずピース・サインを掲げた。蟹の大群のようなその光景を見て、カツオは口元に笑みを滲ませた。

「……はいっ、というワケでございましてですねっ、サタデーナイトは大フィーバー、恋路はいつもリアス式、そこのけそこのけ戦車が通る、馬鹿が戦車(タンク)でやってくる! 今晩もソウル・ミュージックのお時間がやってまいりました! 全国津々浦々コインランドリーは数あれど、洗濯機が回り、ミラーボールが回り、ついでにレコードも回っちゃうのは当店だけ! みなさま、どうか、どうか、二時間ポッキリのアーバン・ナイトをとびきりホットに過ごしてチョーダイ!!!」


 おキマリの口上をカツオが叫ぶと、喝采が乱れ飛んだ。カツオは司祭のような敬虔な気持ちで、厳かにこう続けた。


「——ええと、最初の曲をプレイするまえに、少しだけお話させてください。ミラーボールのお話です。そう、いま、ここの天井でキラキラ光りながらぐるぐる回っているあのミラーボールのことです。

ミラーボールを誰が発明したか、というのは謎に包まれています。
1920年代に世界中のナイトクラブで大流行したということは記録に残っていますが、正確な起源については謎のままです。
どこの国で生まれたのかさえも定かではありません。
ただとにかく、1920年代のいつか、きっとどこかのナイトクラブで、誰かが思ったんです。大きな球に鏡を貼り付けて、それを天井に吊るしてグルグル回してみたい、と。
そしてその偉大なる人物は、さっそく制作に取り掛かり、ついに世界最初のミラーボールを作り上げました。
人類史上、初めてミラーボールがナイトクラブの天井に吊るされた夜、その場にいた誰もがハッと息を呑み、それを見つめたはずです。
この稀代の発明品はたちまち広まり、世界最高のパーティー・アイテムとして君臨しました。

ミラーボールほど無意味なものはこの世にありません。
けど、ミラーボールを知らない人間はこの世にいないし、ミラーボールを憎んでいる人間もおそらくいないはずです。
無意味で、有名で、愛されている。
なんて素晴らしいんでしょうか。
あらゆる発明品は悪に転用できます。
灰皿は人を殴れるし、割り箸は人の目を突けます。
けど、ミラーボールが原因で死んだ人間は歴史上、ひとりもいないんです。
なんて素晴らしいんでしょうか。
そういう意味で、ミラーボールと音楽は似ています。
音楽は普遍的秩序です。夜空の星のようにただそこに存在し、つかの間の永遠を我々に与えます。
音楽は悩み多き世の中で語りかけます。感情や思考の底にある真理に気づかせてくれる。
そして音楽は我々に、“生きていてよかった”と思わせるんです。

ディスコは、愛を至上の教義とする教会です。そこで人々は、16ビートの夜の賛美歌を、全身をつかってうたいます。
我々は主義も思想も違う。けれど同じ音楽で踊ることはできる。そのことに何より意味がある。


改めて、今晩はご来店いただき誠に有難う。

君がどこの誰かは知らないけれど、君が誰でも構わない。

愛してるぜBABY


カツオがふたたびピース・サインを掲げると、拍手が巻き起こった。喝采の渦の中、カツオはターンテーブルにレコードを載せ、針を落とした。スピーカーから愛のグルーヴが流れ出し、人々は何かに突き動かされるように踊り出した。その曲は、最初の夜の最初にかけたブラック・ハーモニーの“レッツ・ビー・ラヴァーズ”であった。

 それからカツオは流麗な手さばきで、次々にレコードをかけ続けた。ワイルド・ハニー、ジェイソン・ハリデー、ソウル・シンジケート、キングス、J.R.ベイリー、ジョージ・スモールウッド、チェッカーズ……奇妙で騒がしかったこの夏に、カツオが胸打たれた楽曲ばかりだった。もうすぐ夏が終わる。そしてこのイヴェントは幕を閉じる。すべてはここから始まったのだ。すべてのことはここで起きたのだ。笑いと憤りと悲しみと暖かさが絶妙にブレンドされた盛り沢山の夏を思い返しながら、カツオはプレイし続けた。この光景とこの一瞬以外の何かが、カツオの全身からまったく予想していなかった感情的な反応を引き起こしていた。そこにいる人たちはもちろん、世界中の人々と深くつながっているという感覚を味わっていた。カツオは幾度となくフロアを眺め回した。ひとり残らずみんな踊っていた。そしてどの人も、ひとりひとりがただあるがまま、“自分”でいた。“らぶ”全体が、巨大な、ひとつのトライブだった。音楽に乗って踊っているというより、音楽がみんなの中をただ通り過ぎていくかのようだった。16ビートで刻まれるハイハットがみんなの心臓の鼓動をひとつにしていた。各自の意識が消えてなくなり、一体化した集合意識に代わられたかのようで、それは鳥の群れが一羽一羽の鳥の集まりではなくひとつの存在のように見えるのと同じだった。“らぶ”にいるみんなが共通の目的を持っていて、全員が集合体として存在していた。ONE FOR ALL,ALL FOR ONEとはこういうことなのだとカツオは思った。そうしてカツオは、これだけは絶対にかけようときめていた一枚のレコードを手に取ると、それをターンテーブルの上に載せたあと、クラウドに向かって語りかけた。


「えー、あの、これからかける曲は、ここにいる誰もが、絶対に、聴いたことのある曲です。
とても感動的な曲ですが、この曲を聴いて泣いたという人はあまりいないのではないでしょうか? 
むしろ、爆笑とともに聴いたという人のほうが多いんじゃないでしょうか。
やりすぎなほどにロマンチックで、やりすぎなほどにドラマチックで、やりすぎなほどに感動的で、だからこそ笑えて、でも一生忘れることのできないこの曲こそ、最後の夜にふさわしいと思いました。
この宇宙は物理法則で動いているんじゃない。この宇宙は愛で動いています。おれたちは愛がなければ生きていけないんです。愛がすべてです。繰り返します、愛こそすべてです。
いうまでもなく世界はクソです。これからもますますクソになっていくかもしれない。
だけど、クソは肥やしです。そこにタネを蒔きましょう。できるだけたくさん。
そのために大いに笑いましょう。大いに踊りましょう。大いに愛し合いましょう。
少なくとも、我々には、その権利がある。ピース


 そしてカツオはそのレコードに針を落とした。初めは何の曲だろうとざわついていた観客たちも、一人、また一人と気づいて笑い出し、やがてそれは爆笑の渦となった。それはけして嘲りの笑いなどではなく、愛の波動からくる、真実真正にポジティヴな笑いであった。ワハハ、ギャハハハ、ゲラゲラ、ニコニコ、たくさんの人があらゆる種類の笑いを浮かべていたが、そのあらゆる笑いの背後には、たったひとつの笑いがあった。その唯一の笑いの震源地から発せられるヴァイブスに共鳴して、この世界は笑いに満ちあふれるのだ。宇宙の本質は笑いであり、肯定であり、愛である。この笑いを巻き起こしている曲こそは、ホイットニー・ヒューストンの『I Will Always Love You』であった。カツオは何度もうなずきながら、幸福に満ちたフロアを眺めていた。そしてそのときである。店のドアが開いて誰かが入ってきた。それは、車椅子に乗った女の子だった。肩ぐらいまである髪をオレンジ色に染め、両耳にばちばちピアスを開け、『GGアリン』のTシャツの上に擦り切れた革ジャンを羽織ったその女の子は、しばし店内を見回していたが、やがてDJブースに立っているカツオに目を止めた。カツオは心臓が『ヒュッ』となるのを感じた。なぜって、その女の子が信じられないぐらい可愛かったからである。美しいサックス・ソロに導かれるように、カツオはDJブースを降りると、ふらふらとその女の子のまえへ向かった。


 ふたりは見つめあい、おたがい照れたように笑った。カツオは顔を両手で覆い、天井のミラーボールを仰いだ。ミラーボールは愛のヴァイブスを降り注ぎ続けていた。そしてカツオはしゃがみこみ、女の子の目をまっすぐ見据えて言った。

「ねえ、早乙女さん。いきなりだけど、これからおれ、すごいことをキミに言う」
「なに?」
「愛してる」
「知ってる」

 そしてふたりは熱い抱擁を交わし、唇を重ねた。スネアとフロアタムが『ドン』と鳴り、ホイットニー・ヒューストンがすべてを祝福するように『エンダーイヤー』と歌った。フロアにいた全員が、声を揃えて合唱した。響き渡る『エンダーイヤー』、そして拍手喝采の雨あられ。驚くべきことにそれは通報を受けた警察が突入するまで、いや警察が突入してからも、その合唱はずっと続いていたのである。




♪Sound Track : I Will Always Love You / Whitney Houston



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