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踊ってばかりの国『Paradise review』によせて


 開始二秒、歌声とアコギとタンバリンのカラみが響いた時点で、「あっ、これは大変なことになるな」という予感がざわめき、
バンド・サウンドがヌルリと現れた瞬間に、その予感は確信へと変わった。
部屋の空気がぐうううっとふくらんで、額の生え際がウズく。ゆらめく朧ろな霧のようでいて、その実、洗練された旋律とコシの強いグルーヴが、わたしを静寂にみちびく。
それはちょっと孤独な感じもするけれど、多くの積極的なものと深くつながっている感覚をあたえてくれる。
すなわち、サイケデリックの効能である。サイケデリックとは世界が変になるのを楽しむことではない。気づき、思い出し、受け入れることだ。

 もう何度も繰り返し聴いているが、つくづくすんばらしいEPである。野心に溢れた、非妥協的なロックン・ロールだ。全体にわきたつグルーヴがあまりに自然で自由なんで、“才気溢れるロクデナシがふらりと五人集まって、ゆったり調子良くセッションしたらもうそれでオールOK”みたいな、60年代的なジャムバンド幻想をもってしまいがちなんだけど、ちゃんと聴けばそうではないことがすぐに解る。歌詞やメロディだけでは伝えきれないものを表現すべく、音色や質感、定位や録音方法にいたるまでハンパない工夫や努力をこらしている。
シャバいサイケバンドにありがちな、『リヴァーヴとディレイ踏んどきゃイイでしょ』みたいなイージーさはすこしも見当たらない。『こういう感情を表現したいからこういう音響を出す』という確固たる目的意識が、すみずみまでいきわたっている。
このアンサンブルの結晶度の高さは、単なるイイ調子のセッションではけっして生まれ得ないハズだ。

 この五人でしか出せない、独特のふしぎな広がりをもつサウンドスケープの要はきっと、丸山氏のギターワークにある。何がどうなっているのかさっぱり解らないけれど、全体で聴くとすごく美しい。この、科学では解明できない、四次元的なプレイによってスペースが拡張され、トリプル・ギターであることの完全な必然性と実験精神をゲットしている。

 基盤となるリズム隊の進化もめざましく、アクセントのひとつひとつに説得力がある。古典性と斬新さをかねそなえた、まごうかたなき21世紀型サイケデリック・ロックのベース/ドラムである。聞けば、サスティンの長さとスネアの打点の位置など、とにかくグルーヴに対するディスカッションをめちゃくちゃやったのだという。

 そこまで突き詰めているというのに、神経質なかんじはまったくしない。心のふれあいのあたたかさを強く感じさせる、レイドバックしたロックン・ロールでありつづけている。混然と、奇妙に調和した独自のサウンドを形成するさまは、このように言葉にするのももどかしい。40年代ぽかったり、60年代ぽかったり、90年代ぽかったりもするけれど結局のところワン・アンド・オンリー、『Amor』みたいな南部ロックふうの曲をやっていても、水滴がにじむようなしっとり濡れた感触がある。マジで“踊ってばかりの国”でしかない。

 最後の曲で、下津氏は『俺たちに明日はない』と歌うが、それは皮肉や冷笑、絶望のたぐいではない。“今しかねえんだよ”という切実な決意表明だと思う。多くの人が、重要なことはすでにもう起きたか、これから起きると考えているが、本当に大事なことはいま起きている――という、由緒正しきロックン・ロールの精神性である。こんな時代の、こんな国で、それを叫んでいるのはマジでヤバいと思う。そして、このEPに心が縫い止められてしまったひとも、もれなくヤバいのである。もうすぐ彼らのツアーがはじまる。早い話が、ヤバい奴らの集会である。イカれたロックでヤバい奴らと踊り明かすのだ。覚悟はいいかね。わたしはもう、とっくに覚悟している。

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