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目の前の視界いっぱいに広がったあの笑顔を、ワシは一生忘れないだろう…&日&全日50周年記念80年代プロレスラー新作いらすと③東洋の巨人 ジャイアント馬場

馬場さん赤 字


80年代初頭、もともと「過激なプロレス」の新日ファンであったワシは、正直全日は軽視していていたといってと思います。

しかし81年暮れに不沈艦スタン・ハンセンが新日から全日に電撃移籍。翌2月3日ごろだったと思いますが、先代の東京体育館で行われたジャイアント馬場VSスタン・ハンセンの一騎打ちが土曜の夕方5時半ごろ放送されていた全日本プロレス中継が録画放送、これは新日ファンのワシとしても見逃せません。しかし当時ワシんちにはまだビデオデッキがなかったため、つい先日「猪木VSブッチャー」を当時のアルバイト先(特殊美術造形)を早退させてもらって駆けつけたばかりなのに「テレビで馬場vsハンセンを見るため」早退させてくれとはとても言えませんでした。

ところがたまたま放送日のバイト先は仕事が早めに終わり、「帰ってよろしい」ということに。ワシは自転車をとばして5時半にはテレビにかじりつくことができました。

そしてこの試合。代名詞である16文キックや低空飛行ながら32文ロケット砲も炸裂し、猪木ファンであるワシが「ジ、ジャイアント馬場もまだまだやれるな…」とうなる名勝負となり、さっそく第2戦となる4月のシングル戦を見に行き、以後、新日だけでなく全日も見に行くようになったのでした。

あとで考えてみりゃバイト先の社長もプロレスファンだったので、自分がテレビを見たいためにその日の仕事を早く終わらせたのかもしれません。

80年代の全日といえば武道館や国技館でのビッグマッチのときんはハガキが送られてきて、割引でチケットが入手できたものです。送金は現金書留だったのかなぁ。

なお後年、マンガ「わし流プロレス絵ンマ帳」連載中はレスラーとのツーショット写真を撮るため、いろんな団体のファンクラブに入っていたわけですが、その甲斐あって馬場さんとも撮らせてもらうことができました。そのとき、目の前の馬場さんはワシの視界からはみだすほどの大きな顔でニッコリ笑ってくれました。「こ…この笑顔はいまこの瞬間だけは、ワシだけのものだ!」と感激したものです。


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