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ボタニカル哲学(菜根譚)

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菜根譚は、今から約400年前の中国において、内乱や政争が相次ぎ混迷を極めた明代末期、万歴帝の時代(1572-1620)「厳しい時代の中でどう生きるのか」をテーマに、中国明時代の哲…
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2022年8月の記事一覧

ボタニカル哲学(後集88)束縛も解脱も自身による

束縛されることも、解放されることも、自分の心の在り方にある。悟りを開いてしまえば、肉屋や…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集87)精神が充実していれば

精神が充実していれば、布製の粗末な寝具でも大自然の調和した真気を得る事が出来る。味覚に満…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集86)天地万物は常住不変

この宇宙の全ての物、人間関係における全ての感情、社会における全ての出来事は、一般人の視点…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集85)俗を離れて真は無い

金は金鉱石から取り出され、宝石も岩石の中にから発見されように、幻しを全て否定しては、真実…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集84)念慮を捨て去る

人の心の中には、一つの真実の境地がある。この境地を得た人は、琴や笛といった楽器が無くても…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集83)悟りの心と迷いの心

本性が澄みきっていれば、たとえ飲まず喰わずの状態にあっても、心身を安心な状態に保てていな…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集82)無為自然の風光

心と現実が偶然にピタリと共振した状態の場所を「桂境」といい、物が本来の状態で在り、真気が働いている。もし仮にほんの少しでも人為的に力を加えれば、真気は乱れ、桂境は失われてしまう。白楽天は、「心は感情が動かない状態が最も良く、風は自然に吹いてくるものこそ清清しい」と言っている。何と味わいがある表現だろう。 つまり、悟りの境地とは「心が自然な状態にあり人為を加えていない状態」なのだであり、そしが心が最高の状態であり、「無事(人為的な分別が動いていない自然な状態)」こそが真理なの

ボタニカル哲学(後集81)念を去らずに無念に入る

近頃の人間は「無」の心境を求めるているので、心境を無くす事は出来ない。けれど、過去に囚わ…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集80)世間、人情を知り尽くす

世間の実体をイヤというほど知り尽くしてしまえば、雨だ曇りだとコロコロ変わる人の心には触れ…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集79)名を重んずるのも欲心

節操のある立派な人間は、小国一国を得られることを他に譲り、強欲な人間は一文の金も争って欲…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集78)空も執すれば空にあらず

真に自由であるとは、全てを否定することではない。現象に執着するとは、真実では無い。現象を…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集77)妻子珍宝も身を助けず

樹木は、秋になって根だけになってしまってはじめて、花や枝葉が一瞬の繁栄であった事に気付く…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集76)期して待つ

長く羽を休めていた鳥が、飛び立てば、他の鳥より例外なく高く飛ぶことができ、花の中で早く開…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集75)詩興野趣の催す場所

詩のアイデアが生まれるのは、“送別の橋(官僚が地方転勤に必ず渡る長安にあった橋)”の上で、かすかに口ずさむと周囲の風景が自然に共鳴する。 自然に親しむには、“送別の湖(吾人が君子と別れた逸話のある浙江省の湖)”のほとりで、一人たたずんでいれば、周囲の風景が親しみ其のものとなる。 つまり、物事には相応しい場所というものがある。 言換えれば、達人には達人に相応しい場所があるということを覚えておこう。