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山田詠美のことば
毎日新聞連載、今日の山田詠美『私のことだま漂流記』(21)を読む。
ロシアの「文学至上主義」者のことが最初の話題になっていた。そして彼らは「皆、心にプチ・プーチンを住まわせている!」と容赦ない。
文学の芸術至上主義者ばかりでなく、美術家や、すべてのアーティストと称される人々の心に、「プチ・プーチン」がいないかどうか、自省してみる必要があると、日ごろから私は思っていたので大いに同感だった。
山田さん曰く。「極貧で男に養われているような状態だったから、賞金は欲しいと切に願ったが、それだって、必要最小限でよかったのだ。」
「もう、人生の半分以上、小説を書いている。で、思うのだが、お金は大事。欲しい。お金のために小説は書かないつもりだが、小説のためにお金は欲しいのである。なぜなら年寄りになりつつある小説家にとって、お金の苦労は心身を害するからである。」
正直で、いいことばだな。これも同感。
「経済的理由から大学の先生の職を得る作家は多いが、私には到底無理なのである。私の中には、人見知りな部分と出たがりな部分が同居していて、…大勢の人々の前で講義なんかできるかい。…今はやりのリモートの授業だとしても無理だろう。小説は、語るものでは書くものである。」
心の中に「人見知りな部分と出たがりな部分」がある人は、やはり、そういう人は自分以外にもいるのだと、この文章読んで、多少安心するかもしれない。
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