森鷗外の文体

 作家であり医師である夏川草介氏が森鷗外の文体について書いている。(今日の毎日新聞)
 氏は尊厳死とか安楽死という鷗外作品の主題ばかりでなく、その文体に強く惹きつけられるものがあると言っている。

 「緻密で、鋭利で、ときには気品すら漂うその著述は、ともすれば、熟練の外科医の手術野を見ているようである。血管を確保し、神経を認識し、腸管を把持して静かに病巣を露わにしていくように、鷗外は対象に接近していく。しかし接近しすぎることはない。」

 なるほどな、夏川氏のこのフレーズを読んで私は頷いた。私が鷗外の文体に感じたのはこれだったのか。

 そして夏川氏はこうも言う。

 「実際、鷗外の作品も、ときおり著者自身の自負や諧謔が垣間見えるが、見えたと思った直後には、何事もなかったように本論に戻っていく。鷗外の面白さというものであろう。…緻密な論述を進めつつ、対象との距離をとりながら、ときには結論そのものを読者に託して筆を擱くのが鷗外である。…医師という職業を続けていれば、人生というものが納得とも理解とも程遠い要素でできていることは自明の理となってくる。」

 ときには冷たくも見え、いつもストイックな鷗外、今日読んだ夏川氏の記事は、鷗外文学に日ごろから私が感じていたものをうまく抉り出しているように思え、興味深かったので、ここにメモしておく。

 

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