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新聞記事より「司馬遼太郎生誕100年」


上記標題は、2023-8-7の朝日新聞記事。
ここに木内昇さんの次の言葉があった。
「司馬は 思想を書かない人だと思うんです。 ことに印象的な登場人物は、議論が嫌いな人が多い。竜馬はもちろん 、「燃えよ剣」の土方歳三も、「 国盗り物語」の 織田信長 もそう。 議論をして相手を論破しても恨みを買うだけで世の中は変わらない。 それよりも自分が行動で示して結果を出せば、周りも動き始めると信じているふしがあって、何かに立ち向かう時に ぐじぐじ 悩んだりしない。」

同じ紙面で門井慶喜さんもこう言う。
「司馬は歴史と過去の区別がついてない人だと思うんです。いい意味で。…」

土方歳三について「この男は餅を食うより それをどう巧緻に 炙るかということの方に興味があるらしかった 」という司馬の記述を門井さんは見逃さない。
「もちろん 創作でしょうが、 この小さな エピソードで 土方がぐっと身近に感じられる。我々も餅は焼くわけですから。加えて一種の人間論としても利いている。土方は 新選組で何をするかよりも 新選組という組織 そのものを美しく作ることに興味があるんだな と 暗示する。うまいです。」

なるほど、門井慶喜さんはいいとこ引用するなとつくづく思った。

また 、歴史的な評価の定まらない乃木希典についても、「殉死」の中で司馬は、「ある価値のために人は命を捨てられるかどうか という点にテーマを据えて」書いていると門井さんは述べる。

「司馬は乃木を一回、歴史の中において語り始める。…評価が定まらない人でも歴史上の人物ですよ というふりをして書くから、読者には入り込みやすいし 、現代に通じる テーマだから、司馬がどんな人物像を提示してもある種の説得力を持つわけです。」

史実と司馬文学との関連について考える時、「(司馬文学は)思想を書かない」という木内さんの一見、意外な指摘と、「(司馬文学は)
歴史と過去を(あえて)区別しない」という門井さんの何だろうと思うような指摘は面白かった。

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