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猫的生き方のすすめ

 猫の生き方は自由だ。彼らは寝たいときに寝て、食べたいときに食べ、遊びたいときに遊ぶ。誰かに命じられて行動するのではない。常に自分が何をしたいかが行動基準となっている。
 我が家では猫を一匹飼っている。名前は黒豆。ファミレスの裏でノミにまみれていたのを拾われたアングラ生まれの女の子である。黒豆は推定6歳で現在我が家のヒエラルキーの頂点に君臨している。家の中は猫中心的に動く。黒豆は一日に16時間~18時間は寝ている。起きているのはお腹が空いたとき、のどが渇いたとき、遊んでほしいときだけだ。こちらが声をかけると尻尾をピクリと動かしたりこちらを見やったりはするものの基本的には自分の意志でしか動かない。とても羨ましい。必要以上に動くこともなければ、人間のようにあくせく働くこともない。(猫の仕事は気が向いたときに人間に頭や背中を撫でさせてやることなのかもしれない)
 猫は自分のしたいことに忠実で非常に理想的な生き方をしている。私は試しに一週間ほどこの猫的生き方を実践してみた。眠い時に寝て、食べたい時に食べ、遊びたい時に遊んでみた。睡眠時間は計16時間(二度寝、三度寝、昼寝を含む)で、起きている時は読書か映画を見るか美術館に行ったりして過ごす。そしてお腹が空いたら何かを食べて、食後は腹ごなしに散歩に行く。だいたいはこんな生活を送ってみた。
 最初のうちは心地よかったものの3日目あたりからこんなに好きなことばかりをする生活をしていていいのだろうかと思った。自分のしたいことをしているだけなのになぜか怠惰な生活を送っているのではないかと。猫だったらこんなことで思い煩うことはないが人間はどうしても考えてしまう。今ごろ周りの人たちは勉強をしていたり何か将来のために頑張っているんだろうなと思うと自分が時間を浪費しているような気にもなった。
 だけど私たちは猫の自由気ままな姿を見ると「猫っていいなあ」と思ってしまう。それは私たちが心のどこかでこんな生き方に憧れを抱いていることの証明だ。そんな憧れを「働かざる者食うべからず」の論理で圧殺してしまっている。
 しかし、私たちは有用性の秤から解き放たれた無目的で非合理的な自分のしたいことをする生き方にどうしようもない魅力を感じてしまう。何か将来のために有用なことをしなくてはいけないという強迫観念に追われて、本当に自分のしたいことを見失ってしまいがちな現代人の生き方に自由でアナーキーな猫的生き方を融合させることで自らの生を無尽蔵に充実、展開、爆発させていくことができるはずだ。この生き方は社会の役には立たないが、自分の役には立つ。たとえ社会の役に立ったとしても自分の生を殺してしまうようじゃ本末転倒だ。
 猫には余計な分別がないから自分の生きたいように生きることができるが、人間は思考という厄介なものを与えられてしまった。この邪魔な思考を一度棄却して無分別の分別に至らなくてはならない。怠惰を恥じる必要は無い、怠惰は自由だ。
 自分の合理的な分別をもぶち抜いた先に自分のしたいことができる生がある。それが猫的生き方だ。猫になれ!猫になって自由に生きよう!猫的生き方はすぐそこにある。
高橋力也

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黒豆(推定6歳)


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