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美即是醜 醜即是美

 「美」というとなんだか権威主義的な強迫感を感じてしまう。美しいと言われる側に居ることができれば嫌な気はしないが、醜い側になってしまうとたちまちそれが悪いことのように思えてしまう。美しくなくてはいけないという固定観念。「美」は良いもの、「醜」は悪いものというイメージが刻み付けられてしまっている。
 「美」について考えるときには、同時に「醜」についても考えなければならないだろう。どちらか一方を取り上げるだけでは十分とは言えない。なぜなら、「美」とは「醜」と比較して初めて認識可能となる相対的な基準だからだ。私たちが普段何かを美しいと感じるときには無意識のうちに醜い何かを思い浮かべている。
 しかし、「美」とは絶対的ではない。たとえば、私はサルバドール・ダリの絵画や彫刻を「美しい」と感じるが、中には「醜い」と感じる人もいる。なぜ、見る人によって物事の美醜が変わるのか。私は、美醜は物事の内側に潜在的に組み込まれていて、見られ方に応じてどちらかが発現しているのだと思う。物事は美醜をどちらも抱えていてこちらがどう見るかによって、その見える面が変化していく。私たちが美しいと感じるものも見方によっては醜くもなりうるのだ。見方次第で美醜を逆転させられると思うと「美」や「醜」といった言葉の規範から解き放たれるような心地がする。「醜」という言葉に縛られているから自分を醜いと思い、「美」を志向してしまうが、それは表面的な見方であり本質ではない。両者は渾然一体で=で結ばれていると考えると窮屈な基準から脱出することができるはずだ。私たちは常に美しく、かつ醜い。「美」は「醜」であり、「醜」は「美」である。

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