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第四回 The Little Things That Mean So Much♪-1ミリの線虫から広がる世界 研究者・武石明佳

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シンプルで透明、分かりやすい生き物「線虫」
竹内 武石さんは線虫を使って脳の研究されているんですよね。線虫って、そもそもどういう虫なんですか?

武石 なじみが薄くてなかなかイメージが湧きにくいですよね。私たちが研究で使用しているのは、細長いひも状の生物で、体長は1ミリぐらいと非常に小さく、バクテリアを食べて生きているC. elegans(シーエレガンス)と呼ばれる種類で、研究用モデル生物として確立されてきた虫です。線虫は自然界で非常に種類が多く、実は昆虫の種類よりも多いのではないかといわれています。飼い犬などにも寄生するフィラリアも線虫の一種です。シーエレガンスは寄生虫とは違い自由生活をしているので土壌にいるミミズのようなものというイメージですかね。

竹内 なんでまたそんな小さな虫を使って複雑な脳の研究をしているのか、すごく興味があります。

武石 線虫を使う一番大きな理由は、脳にあたる部分がとてもシンプルで分かりやすい、ということです。マウスやヒトなどの複雑で高等なモデル動物ではなかなか解明が難しいことでも、構造がシンプルな線虫を使えばある程度理解を進められる、それが将来的にはヒトの理解に近づくのではないか、という期待を込めて線虫で研究をしています。

武石ラボで撮影された線虫の動画

武石 まずは神経細胞の数です。脳に該当する神経系と呼ばれる部分の神経細胞が302個しかないんです。

竹内 302個ですか。人間の場合は脳の神経細胞は何個くらいあるんでしょうか?

武石 ヒト脳の神経細胞は1000億個前後と推定されていて、線虫の302個と比べると、非常に数が多いのは明らかですね。

竹内 だいぶん差がありますね。302個ときっちりした数をおっしゃいましたが、その数は決まっているんですか?

武石 そう、きっちり302個でして、どこにどういう神経細胞があるかだけでなく、どの神経細胞とどの神経細胞がつながっているかという情報も全て分かっています。非常に詳細にまで調べられたデータベースがもうできているんです。

竹内 ちなみに人間の場合は、脳の神経細胞の数は決まってないんですか

武石 決まってないですね。脳の大きさや重さもさまざまです。線虫の場合は、神経細胞が302個というだけではなく、体全部の細胞の数も979個と決まっています。

竹内 え~、どうして決まっているんですかね。

武石 不思議ですよね。線虫の体は透明で、外から一つひとつの細胞を見ることができる。線虫研究の創始者であるS.ブレナー博士、R. ホロビッツ博士、E. サルトン博士 らはそこに着目して、線虫の卵が産み出されてから成虫になるまで、全ての細胞を丹念に追いかけて記録しました。そうした一連の研究のなかで、必ず死ぬと運命づけられている細胞があること、必ず分裂する細胞が存在することを突き止めるなど、生物の発生研究の礎となる報告をしました。彼らは「プログラムされた細胞死」という過程を発見した功績で2002年にノーベル賞を受賞しましたが、同時にその研究によって、線虫の細胞の数は必ず決まっていて、それぞれどこにあるのかマッピングできる、ということも示されました。これってほかの高等な動物では見られないユニークな特徴で、研究にとっては大変に便利なんです。

竹内 便利、というと?

武石 脳の研究でいえば、線虫は神経細胞の数が圧倒的に少ないだけでなく、それらのつながり、つまり配線図が全部わかっている。ハードウェアの大半が詳細に分かっているから、その機能メカニズムを探るソフト面の研究がしやすい。ヒトをはじめとした高等生物の脳に関しては、今、世界でこぞってその配線図を明らかにしようと大きな国家プロジェクトを動かしていますが、神経細胞数が膨大なうえ、配線がかっちり決まっていない部分が多いため、非常に難しい課題となっています。線虫ではシンプルな構造という特徴を活かすことで研究が比較的進めやすいと言えます。

人間と線虫は70%が共通!? 生存維持の根幹は同じ

竹内 なるほど。複雑な脳の仕組みを理解しようというなかで、既に分かっている条件というか、基礎情報が多いということですね。それにしてもですが、1ミリばかりの細長い虫に「脳」のように働く臓器というか部位があるんですか?

武石 実はその点に関しては、定義付けが難しいのです。まず、私たち生物学者としては「線虫には脳はない」と考えます。脳に該当する器官としての神経系はあるのですが、私たちはそれを脳とは呼ばない。私がアメリカで研究をしていたときにも仲間の研究者たちと「なんでこんなに神経が集まっているのに脳と言えないんだろうか」と議論になり、いろいろ調べたてみたんです。ヒト脳の場合は、神経細胞が大脳、小脳、前頭葉などといった単位のクラスターに分かれて機能して、それらが階層的に互いに情報をやり取りしてさまざまな脳機能を担っていますが、線虫の場合は一つひとつの細胞がそれぞれの機能を持っているという構造なので、中枢神経や末梢神経という区別がなく、中枢神経のいわゆる脳としての基本的構造である階層構造やクラスター構造にはなっていないという点が「脳」とは定義付けできない一番の理由、ということになりました。

竹内 そういう違いはあるけれど、線虫のミニマムかつシンプルなシステムが人間のような複雑な脳を理解するためのよい教材、モデルとなるんですね。

武石 そうです。さらに、線虫は体が透明なので、外から一つの神経細胞だけ狙ってレーザーで殺す、つまり細胞としての機能を止めることができるんですね。特定の神経細胞をなくした時に個体(線虫)の行動がどう変化するのかを調べることで、どの神経細胞に依存してどの行動が生み出されるのかが見えてくる。解剖学と行動学を結びつけるような実験を組むことができるんです。

竹内 神経と行動の因果関係を見つけていくということか。

武石 ヒトよりもシンプルといってもこれまでの研究は地道な実験と結果の積み重ねです。まず、20~30年前には、それぞれの神経細胞の役割を調べるために、一つひとつ神経細胞をレーザーで取り除いて線虫がどう変化するかを調べる実験が多く行われました。現在、名古屋大学教授をされている森郁恵先生 らによる、線虫が温度を感知するのにどの神経細胞が重要かを同定した研究や、Cori Bargmann らによる匂い感知神経ネットワークの同定などがよい例です。さらに、神経活動をリアルタイムでモニターするような方法がたくさん生み出され、また神経活動を人工的に活性化したり、抑制したりできるシステムが開発されました。これらの技術を駆使することでもっと深くミクロな分子レベルに踏み込み、線虫の神経同士のコミュニケーションにどういう遺伝子、タンパク質がどのタイミングで重要なのかという点も明らかになってきましたが、そうした分子の多くが線虫とヒトで共通して保存されていたのです。

竹内 「人間と線虫って大差ない」ってことですかね。

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武石 実はそうなんです。線虫もヒトも生き物としてそれを構成するのは細胞であり、遺伝子であり、遺伝子が合成するタンパク質であり、と根っこは同じなんですね。具体的な数字で言うと、遺伝子レベルでは約70パーセント共通しています。特に生存を維持するのに大切な分子や、行動などを調整するのに重要な分子はヒトも線虫も同じように進化的に保存されている。「ヒトの脳を理解しようとしているのになんで線虫を使うの?」とよく言われるんですが、そのような類似性を味方に、線虫で分かったことがヒト脳機能の理解へとつながるのではないかと考えているわけです。

竹内 でも、一般人からするとすごく信じがたいというか……。線虫と人って、全く違うじゃないですか! われわれ人間の方が言ってみれば高等生物なわけですよね。なのに、線虫と遺伝子が70パーセント共通しているっていうのは驚きですが、本当なんですね?

武石 はい、本当です(笑)。もちろん、違う部分もあります。ヒトにはあって、線虫にはないものも多いですよね。例えば、線虫に目があるかと言われれば、光は感じることができますが、いわゆる目はない。歯もない。見た目だってぜんぜん異なる生物です。しかし、例えば神経細胞同士がコミュニケーションするときに使われる神経伝達物質、ドーパミンやセロトニンというような脳の機能や動物の行動を左右する重要な物質については、その作用や機能も含めてかなり共通しています。

竹内 やっぱり基本的な仕組みは同じってことですね。

武石 はい。確かに線虫は細胞数も少ない、非常にシンプルなシステムなのに、ヒトと遺伝情報をこんなに高い割合で共有しているという事実は意外かもしれません。それならばヒトの複雑さ、高度さはどこからくるのか、と思ってしまいますよね。ただ、ヒトと線虫の大きな違いの一つとして、情報としての遺伝子は同じでも、そこから作られるタンパク質の種類が違う場合があります。線虫では一つの遺伝子から少ない種類のタンパク質しか作られない反面、ヒトなどの高等動物では同じ遺伝子から例えば少しだけ長さが違うタンパク質が複数作られていて、そうした少しずつ性質の異なったタンパク質がそれぞれ違った役割を果たすことでより複雑な仕組みを可能にしている、ということもあるんですね。一緒に働くほかの遺伝子との組み合わせで役割が変わる、ということもよくあります。その辺りが人間の複雑さにもつながっているのかもしれません。

「何気ない選択」は高度な脳の機能で成り立っている

竹内 その線虫を使って、武石さんはどのような研究をされているんですか?

武石 線虫が感覚をどうやって探知し、さらにその感覚の情報をどのように統合して行動に移しているかを研究しています。具体的には、たとえば匂いと温度など複数の刺激を線虫に与えて、線虫が刺激の方に寄って行くのか、逃げるのか、その行動を調べながら、神経活動を解析したり、働く分子を調べたりします。実は、匂いや温度など一つひとつの刺激がどう神経系で処理されるのかというメカニズムは、ここ20~30年の間にかなり明らかになってきたのですが、匂いと温度など複数の感覚情報を生物がどうやって統合して、とるべき行動の判断をしているのかはまだ分かっていません。実際の自然界では、匂いも温度も同時に感じますし、ヒトの場合だとあそこに何か見えているな、というような視覚情報もさらに入ってきたりして、かなりたくさんの情報に常時さらされていますよね。そのなかで脳は、一番必要な情報をより分けたり、複数の情報を統合したりして、状況に最も適した行動を生み出している。こうした情報の統合とそれに基づく判断の脳メカニズム、つまり脳のなかの情報のバランスを取る仕組みはまだまだ未知でして、それを私たちは線虫で明らかにしたい。

竹内 僕たち人間は、情報や感覚の統合って意識していないのに本当に何気なくやっているんですよね。そして今何をすべきか、なんていう選択を随時、多くの場合には瞬時に行っている。

武石 そう。簡単に行っているようで、実は複雑な機能の上で成り立つ、とても高度なことなんですよね。そして生物としては感覚統合をするメリットがちゃんとあるんです。例えば、お腹が空いた線虫にとって、餌の良い匂いがする一方で餌のある場所は非常に条件が悪いとか、餌の匂いに天敵の匂いも混ざっていて近づくと命を落とすかもしれないという状況で、餌を取るのかそれとも身の安全を取るのかという判断は自然界を生きのびる上でとても重要な選択です。それを可能にするのが感覚情報を統合するメカニズムなのです。線虫のような小さな生物は特に環境に依存するところが大きくて、生き残るために感覚を統合し、適切な判断を繰り返さないといけない。私たち人間も、複雑な現代社会において、いろいろな条件があるなかでどれを選ぶか迷うことも多いですよね。もちろん人間の場合は命がけのサバイバルとまではいかないことが多いのですが、どの情報が一番重要かを脳内で判断して、今の自分に一番合っているものを選択していくことの積み重ねが、人生の豊かさにつながりますし、こうした感覚を統合する脳の機能は種全体としても必要な機能だと言えます。

竹内 例えば感覚の統合が上手くいかない場合もあるのですよね。そういうときはどうなるのでしょうか?

武石 それは私たちの知りたいことでもあるんです。例えば、情報のバランスを取れずに、匂いに非常にこだわって常に匂い情報を優先する線虫とか、どうしてもこの条件じゃないと嫌だっていう線虫の遺伝子の変異体を探していきたい。

竹内 もちろん人間でも起こりうる状態ですよね。

武石 はい。線虫でのデータや知見をそのままヒトへ当てはめて、線虫からヒトへ飛躍しすぎるのはもちろん禁物なのですが、ヒトにおける発達障害などが分かりやすい例だと思います。何かの刺激に強いこだわりがある、などというのは、脳内のバランスが崩れている可能性がある。もちろん、そのような状態であっても本人が不利益を感じていなければ問題ないのですが、生きづらさが伴うのであれば、社会として対応していくべき問題だと思います。発達障害や精神疾患の研究を含め、ヒトの脳の特性やその原因を探るのは非常に難しく、まだ分からないことが多いんですね。恐らく、たくさんの複合的な理由によってバランスが崩れている状態が生まれていると予想していますが、その複合的な理由の一つひとつを解きほぐして理解していけば、きっと最後には原因や仕組みが分かるんじゃないかと思っています。

シンプルな線虫はシンプルな数式化が可能?

竹内 最近はビッグデータを活用したコンピュータのシミュレーションで、研究がさらに進んでいくといったことも聞きますよね。神経細胞が302個だけの線虫の場合は、シミュレーションできちゃいそう、という気もするんですが、実際には可能なんですか?

武石 今、盛んに研究が進められているエリアですね。外からの刺激に対して、線虫の302個すべての神経細胞がどのように活性化するのかをライブイメージングするという全神経系イメージングからの実験結果も出ています。線虫は小さい動物ですし、なにせ透明なので、自由に行動をさせながら神経活動をモニターするのは比較的容易にできるんですね。そのようなデータをもとに、入力に応じてどの細胞とどの細胞がコミュニケーションを取り、ネットワークとしてどのように活動しているのかをシミュレーションする。この行動にはこの神経細胞やネットワークの活性化が必要だと同定してその情報をシミュレーションに反映させることで、記録した神経活動から行動を予測したり、また逆に、行動から神経活動を予測したりということは、かなり行われています。

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竹内 僕、バックグラウンドが物理学なので、何でも数式に落としたがるところがありまして。302個だと将来的に、単純な数式に落とせそうな気もするんですけど、そこら辺はどうですか?

武石 本当にそこら辺はやりたいですね! 私たち、生物学の研究者が集まっているラボなんですが、ぜひ、数理系や物理系、理論の研究者や専門家と一緒にタッグを組んで、実験系だけでは明らかにできない部分、シンプルな線虫をシンプルな数式で表し、行動などを予測する、といったようなことをやっていきたい。ところが、「たかだか302個の神経細胞」であったとしても、神経細胞の機能から行動が生まれるメカニズムは完全には解明されてないですし、シミュレーションに落とし込んで線虫の行動を100パーセント予測するところまでは到達できていない。まずはもう少しこの神経細胞と行動の因果関係を生物学的アプローチで掘り下げて、明らかにする必要があると思っています。

竹内 もしそこまでできたとしたら、将来的には人間の脳活動というか、記憶を含む全情報をコンピュータとかインターネット空間とかにアップロードするぞ、みたいなSFとも近未来の現実とも言えそうな話があるわけですが、線虫であれば近いうちに可能になりそうな気がしますよね。

武石 そこまでいけば神経系や脳の仕組みを究極的に「理解できた」と言えると思うのですが、現実としてはまだまだですね。実際の神経活動を数理的な式に落しこむことにしても、膨大なデータから要素や法則を抽出してシンプルにしてからの作業ですよね。まずは膨大なデータを取ってこなければならない。ところが、線虫の遺伝情報はもちろんすでに全部解読されてはいるんですが、それぞれのタンパク質が、いつ、どこで、どのぐらいの量で、どんな働きをしているのかは、まだ全て分かっていない。下手したら、一つの神経細胞でも、例えば遺伝情報を格納している核のある細胞体の部分と、細胞体から突起状に長く延びている軸索や神経細胞が情報を受け取るために枝を伸ばしている樹状突起の先っぽの部分では、局所的に違うことが起きているかもしれない。いくら線虫がシンプルでも、生物として非常に複雑なことをしているのは間違いない。こういう一つひとつが最終的に全て明らかになるのにどれぐらいの時間が必要なのか……、まだまだ長期戦だと感じています。

進路に迷い、化学も生物も物理もできる薬学部へ

竹内 武石さんは、科学者になろうと思ったのはいつ頃からですか?

武石 もともと、理科はすごく好きだったんですよ。でも、学校の授業で習う生物はすごく嫌いで……。とりあえず暗記しなければいけないというイメージで。酵素はどこから出て、ペプトンが、ペプシンがって。ところが生物は暗記するものではなくて、むしろ、大部分がほとんど分かってないのでそれを開拓していく分野だっていうことに気がついたのが、大学3~4年生ぐらいでした。その時に急に生物に興味を持って、もっとやりたい! とこの道に進んだので、研究者になりたいと思ったのは大学院に入ってからですね。ほかの研究者の方々より非常に遅いと思います。

竹内 だから、最初は薬学を専攻されていたわけですか。

武石 そうなんですよ。進路がなかなか決まらなくて、どこに行ったらいいかなといろいろな方に相談をしている中で、当時東京大学医学部にいらした野本明男先生(故人)という非常に高名な先生が「薬学部に行ったら? 化学も生物も物理も、全部できるんだから、あそこは」っておっしゃって。これっていうものが決まってないなら、もう薬学部しかないなと。

竹内 そんな流れだったんですね!

武石 はい。実は理研CBSには薬学部出身のチームリーダーも多くて、脳研究者としては特にマイナーなバックグラウンドというわけでもないんです。薬学は、薬剤を作るという意味で化学もしますし、薬剤の反応を見るためにもちろん生物も学びます。タンパク質の構造を決定したりするのに、X線、NMRといった物理的な側面も必要なので、かなり総合的な知識を学びます。むしろ分野が決まらない私には好都合だったという。

竹内 薬学部で学んだこと、現在の研究において役に立っていますか?

武石 脳の仕組みを考えるときに、薬学的な知識、例えば阻害剤がどう効くのかとかいった知識は役に立ちます。私がいた大学の薬学部ではかなり基礎的な内容から学ぶので、それこそ神経伝達物質などについては学生時代にかなり詳しく学ぶことができて、非常に役に立っています。ただもっとちゃんと勉強しとけばよかった!

竹内 それは誰でも考えますよね。もっとちゃんと勉強しておけばよかった! というのは。

武石 単位を取りやすい科目を選ぼうとか、違う論理で動いちゃう(笑)。

竹内 そうそう、若い頃はいろいろとやることもたくさんあるので(笑)。

武石 今、神経科学にかかわらずどの分野も、複数の分野が学際的に融合していてかなり膨大な知識が必要とされていると思います。私は恥ずかしながら、当時物理はあまりよく理解できていなかったのですが、単語やセオリーを聞いたことがある、学生実習で見たことがある、という経験だけでも後々に役に立ちます。論文のなかでそうした単語やセオリーに出くわすときには少しは親近感を持って読み進められたりして、薬学部で広く学べたのは良かったなと思っています。

二人のキャリア、ワンオペ育児:研究者の場合

竹内 実は、プライベートなことで武石さんに聞いてみたいテーマがありまして。

武石 なんでしょう?

竹内 いわゆるTwo-body problem、つまり自身もパートナーも研究者の場合に、二人とも地理的に近い場所でポジションを得るのが大変に難しいという問題と、今まさに格闘しているとか。

武石 そうなんですよ~。

竹内 僕のバックグラウンドである物理でいうと、Two-body problem:二体問題は解けちゃう(笑)。

武石 解いてほしいです!

竹内 現実社会のTwo-body problemはそう簡単ではないのですね。パートナーと自分、2人のキャリアと家族としての生活を築いていくことの間で摩擦を生む、このTwo-body problemは武石さんにとっても大変な問題なんですね?

武石 私、理研でラボを持つ前はアメリカで研究をしていたのですが、ライフプランニングの面では日本より進んだ制度があるアメリカにおいても未だにかなり大きな問題で、サイエンスを職業とするカップルの多くが一度は悩むような問題ですね。研究者はポスドク時代を含め、安定した雇用に就けるまで異動が多い職業なんですが、自分の次の勤め先を探すときにはパートナーの勤め先も同時に考える必要がある。新しいポジションにつくタイミングを合わせるのは難しいですし、地理的に近いところに着地したいけれどそう上手くはいかないことも多々ありまして。その場合になにを優先するのか、具体的にどうするのかといった判断をしていかないといけない。欧米の場合、研究者カップルの片方を採用した研究機関が同じサイエンスを生業とするパートナーに対してポジションを提示してくれる場合もあるのですが、必ずしも常にそういう条件を提示してくれるわけではない。だからどうやって生活と両立させながら研究キャリアを積んでいくかは非常に大きな課題なのです。もちろんサイエンス以外の職業でも、昔と違って転職も増え、共働きの割合も高い現在では、普通に共働きカップルのあるある問題だと思います。

竹内 両方立てれば身が立たぬ、みたいな感じですね。武石さんは、今どういう感じなんですか?

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武石 私のパートナーも研究者で子どもは3人います。小学生の長男はパートナーの職場がある京都府に、保育園に通う長女と次男は私と一緒に埼玉県にそれぞれわかれて住んでいる「一家族二拠点」スタイルで、お互いがワンオペ育児中といった感じです。特殊な形に見えるかもしれませんが、実は周りにも数人、そのような形で生活している研究者がいまして、特にレアなケースではないみたいです。

竹内 京都と埼玉だとコロナ禍では会うのも制限されて大変でしょう。今はオンラインで話せたりもしますが、Two-body problemによるストレスはどうでしょうか。

武石 結構ありますね。

竹内 やっぱりそうですよね。

武石 コロナ前は2週間に1度ぐらいは行き来していたんですが……。いわゆるワークライフバランスは永遠のテーマですね。「ワーク」に関して言えば、実験をしていると決まった時間に終わらないことも多々あるんですが、一緒に住んでいたときはお互いに調整できていたんですね。土曜日にどちらかが家にいたら、日曜日はもう一方が家で子どもの面倒をみてと夫婦間でのシフト制みたいなことができたんです。でも別々に住むとなるとそれはできない。保育園の事情もありますし、決まった時間でしか仕事ができないというのはかなりの制限となるので、研究を進めるには厳しい条件です。「ライフ」の方も離れていると大変なこともあります。日本の保育園や学校の参観日って、やっぱりまだまだお母さんがメインで参加することが多いですよね。また、平日の行事も多く、長男のいる京都までの移動はなかなか難しいので、参加できるのは週末のイベントに限られてしまいます。子どもの心理的な負担とか情動発達的に大丈夫かなとか、いろいろ心配も尽きません。

竹内 そうですよね。でも武石さんの場合は、苦労しながらも研究者として成功していらっしゃる。Two-body problemと向き合う秘訣というか、コツってありますか?

武石 コツ、私が知りたいくらいです! でもこうだったらいいな、というのはあります。アメリカではベビーシッター制度や補助金が充実していて、ちょっとした時間でもベビーシッターをお願いできたのがずいぶんと助かりました。友人が勤めていたハーバード大学では、オンラインのベビーシッターシステムと提携して非常に評価の高いシッターさんたちを職員のために囲い込んで登録しているそうです。大学が選んだシッターならば安心だと利用している方は多くて。もちろん、子育てについては文化の違いもありますし、サポートしてほしい内容もさまざまだと思うのですが、周りに親戚もいない状態で子育てをしていると、「必要な時に頼れる人がいる」というのが一番助かるなって思います。こういう制度はどんどん普及して欲しいですね。あと日本には「子どもは親が育てた方がいい」っていうほとんど信仰に近い考えがまだまだある気がします。でも自分の子どもの様子を見ていると、親の私とよりも大学生アルバイトのシッターとギャーギャー駆け回って遊んでいるほうが楽しそうな時もあるんですよね。四六時中シッターさんにお願いするわけでもないですし、親自身も子育てを見守る周囲の人々も、そろそろ「子育て信仰」の呪縛から解放されていいんじゃないかと思います。日本でもこうしたサービスをもっと手軽に使えるようになれば、親としてはキャリアと生活の両方において時間と心の余裕も持てますし、親がハッピーな方が、子どももハッピーになれるんじゃないかなと思うのです。

線虫に個性が生まれる不思議

竹内 線虫の話に戻りますが、神経細胞が302個しかないとなると、情報に対するそれぞれの反応も限られてしまい線虫はみんな同じ行動を取るのではないか、なんて考えてしまうんですが、線虫にも個性ってあるんですか?

武石 そこもまた不思議なポイントなんですけれども、個性、あるんです。しかも線虫には自家受精*1 をするという特徴があって、人間の一卵性双生児の場合と同じで、一匹の線虫から生まれた子どもたちは遺伝情報としては全て同じです。神経細胞の数も同じでつながり方も同じ、はたまた遺伝学的バックグラウンドが同じ、という条件だと、「全員、右向け右!」で同じ行動を示すのではないかと考えたくなりますが、やはりイレギュラーな動きをするものがいくつかいるんですよね。

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竹内 それはちょっと不思議ですね。でも人間の場合でも、遺伝的には完全に同一である一卵性双生児の場合も、環境要因によって、当然、行動は変わってくるわけですよね。環境への反応で差が出るということですかね?

武石 今のところはそれぐらいしか考えられないですね。エピジェネティック*2な影響など、何か後天的なものがあるのかもしれない。ただ環境要因といっても、実験動物はかなり均一な条件で飼育しているので……、そうなるとほんの少しの環境の違いが影響するのかもしれない。例えば、より混み入った所に押し込まれた線虫とスペースに余裕のある所にいる線虫とでは、恐らく周りから受けている刺激の量は違う。そのような少しずつの違いが、もしかしたら行動の差に表れてくるのかもしれない。

竹内 今、教育の現場でも、一人ひとりの個性を伸ばしていこうという風潮になりつつあるけれど、個性は、遺伝子で全て決まるわけではない、環境が変わることで伸ばされる部分もある、ということですかね。

武石 うーん、脳科学的に言えば、どうして個性が生まれるのかはまだ全然分からない、というのが正直なところですね。そもそも個性を研究対象にすること自体、ハードルが高いんです。どういう指標で個性を判断するかなども難題です。実は実験をしている側としては、個性ってどちらかというと邪魔な要素なんです。個性的な個体がいると均一な結果が得られない。均一な結果が得られないと、今の科学の手法や考え方からは、普遍的な法則を導き出せない。線虫は先ほどお話した特徴から、個性の部分を最小限に抑えられるという意味でもメリットがある実験動物と考えられているくらいです。つまり私たちは普段、個性を消そうと努力していて、その方向と逆のテーマなんですよね。

竹内 なるほど。個性が邪魔になるのか。でも個性って、つくっていこう、伸ばしていこうと思っても、なかなかそうできるものではないですよね。放っといても勝手に、自然に出てきちゃうのが生き物としての個性なのかな、と思ったりもして。

武石 そうですね。先ほどお話したように、実験に使う線虫の環境はかなりコントロールされているんですね。それでも全員が右側に動くのに1匹だけ左側に動く線虫っているんです。厳密にみると大きさや寿命もそれぞれ、ほんの少し違ったりしますし。人間の場合は、遺伝的なバックグラウンドももちろんありますが、環境要因や後天的なもの、生育条件などによって、少しずつ、その人の個性が形づくられていくのだと思います。個々人の環境なり、体験なりのほんのちょっとの違いが時間をかけて積み重なることで、全く異なる個性が自然発生的に生まれてくる。持って生まれたものプラス後天的な影響が、個性を形づくるんじゃないかなと思います。

竹内 生き物がその他大勢のなかで生き抜いていくサバイバルという点で考えると、個性ってどういう役割なんでしょうかね。

武石 個性の特徴にもよりますが、ネガティブに働く局面もありますよね。同じ環境下でも、ほかとは違う行動をするなど個性が強く出る場合は集団になじまなかったりして。でも自然界では、例えば、進化の過程で環境がガラッと変わったときに、全員が全員、同じ方を向いて、同じ行動をとっていたら、多分、その種は絶滅するんですよ。その中で何個体かでもイレギュラーな動きをして、それがたまたま変化した環境にマッチするならば、個性は生き延びるすべになる。少なくとも生き物においては、種の多様性はもちろん種の保存に不可欠ですが、種の中の多様性、つまり個性も種全体として生き抜く上でプラスになっているのではないかと思います。

竹内 なるほど。個性が種を救う場合もあると。

武石 でも人間の場合は社会が複雑になり過ぎて、個性の意味や役割も複雑になっていますよね。どういう個性をいかにして伸ばして教育していくかは、家庭や社会の問題でもあり時代の価値観にも左右される。最近は発達障害などの研究で、脳の情報処理のバランスに違いがある、という結果が注目されていて、見方によっては、発達障害の方は障害のない場合とは違った情報処理バランスの結果として、行動や感じ方などが「究極に個性的」になっているのかもしれない。それならば発達障害の方の生きづらさにつながる個性は少し抑えて、その人をよりその人らしくする個性は伸ばしていくようなことができればいいですよね。そういう意味で個性の由来、メカニズムを知ることはとても重要かもしれないと思います。今後、精神科医の先生方や脳神経科学の基礎研究をしている私たちが、いろいろな脳メカニズムを解析していくことで、個性的な面がどのように生み出されるのか、少しずつ明らかになってくればいいなと思います。

研究者のリアルな姿

竹内 武石さんは、ずばり、研究好きですか?

武石 好きですね! 私、実験などを含め自分で手を動かすのが好きなんですよ。それと感情のアップダウンがそこそこ激しいタイプで、実験で仮説を検証しながら結果が「ダメだった……」「できた!!」って両極を行き来するドラマチックな日々を楽しんでいるっていう感じですね。実際は「ダメだった……」と悩むことのほうが多いんですけど(笑)。

竹内 研究者ってラボでじっと何時間も作業をしたり、悶々と独りで頭を悩ませているというイメージがありますよね。

武石 研究者に対するそういうイメージ、ありますよね。孤独にラボで粛々と夜中まで実験しているみたいな。だけれど周りの研究者のみなさんを見ていても、現実は逆ですね。かなり頻繁にコミュニケーションを取って情報交換しています。多種多様な最先端技術を使いこなさなければならない現代の科学研究においては、情報やコミュニケーション、ネットワーキングが重要になってきています。もちろん研究発表など公式な場で話すこともありますが、意外と道でばったり会ったときなんかに長々と話しこんだりして、そこから研究への突破口が見つかることもあります。私は人と話すのが大好きで、いろいろ教えてもらったり、話しているうちに議論が思いもよらない方向に飛んだりして、それがきっかけで面白い実験系を考えつくこともあるんです。人とのコミュニケーションは純粋に楽しい。そういう意味でも研究は楽しいですね。

竹内 小学生、中学生、高校生といった子どもたちへ、何か伝えたいことってありますか?

武石 好きなことはとことん突き詰めてほしいです。実験系の研究者として思うのは、本で読んだり考えたりも大事ですが、実際に手を動かしてやってみることもとても大事、ということ。理論的にはうまくいくはずだけれど、実際やってみたら上手くいかないっていうのは、研究の世界ではよくあることです。なんで上手くいかなかったのかなって、もう一度じっくり観察したり、新しい問題の解決法を探したり、試行錯誤していくなかで、新たな知識を得たり、テクニックを磨くことができたり、自分自身が成長することができる。私の子どもたちにもよく言うんですが、ぜひ自分の手でいろいろ試してみてほしい。そしてその結果を自分ならどう解釈するのか、次はどうしたらいいんだろうかって、想像力豊かに考えてみてほしい。

竹内 例えば、教科書に書いてあることをたくさん覚えればいいという話ではなくて、実際に自分で考えて、工夫して、実験してみたりする、それが大切ってことですよね?

武石 教科書に書いてあるのは最低限の情報で、それをベースに、次に何をしたらどういうものができるんだろうってたくさん想像してみる。この「夢見る」ところが科学の一番楽しいところだと思います。こういうことをしてみたら何か面白いことが起きるんじゃないかなっていうアイデアを、大事に育ててもらいたいなと思います。

竹内 武石さんの今日のお話の中で、感覚を統合して選択を最適化する、というところで僕が感じたのは、今、新型コロナの厳しい状況下で、これまで経済や社会を下支えしてきた小さな会社や組織、ベンチャー企業などは特に立場的にも資金的にも弱いからこそ最適化していかないと本当につぶれちゃう状況ですよね。それこそ感覚を統合して最適化を繰り返して生き延びないといけない。

武石 本当にそうですよね。線虫の生存にも、走り始めたばかりの私のラボにも同じことが言えます。弱いものが強くなって生き抜くためには、どんどん能力を身に付けて、運さえも身に付けていかないと。それは、多種多様な生物が、変化し続ける環境のなかで生きていくこの社会の常なのかもしれないです。心して頑張りたいと思います!

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*1 自家受精:
雌雄同体の動植物において、同一の個体に生じた精子と卵子との間で起こる受精のこと
*2 エピジェネティク(ス):
接頭辞epi(後で付加したの意)と遺伝学Geneticsをつないだ言葉(Epigenetics)。先天的な遺伝情報に「後付け」される生命情報のこと

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今夜の研究者 武石 明佳(たけいし あすか)
理化学研究所 脳神経科学研究センターにて多感覚統合神経回路理研白眉研究チームを率いる。
兵庫県出身。東京大学大学院薬学系研究科博士課程修了後(薬学博士)、米国ブランダイス大学で研究を7年行う。帰国後、2017年に理研でスタートした優れた若手研究者をチームリーダーとして迎える理研白眉研究制度のチームリーダーとなる。趣味はフルート。3児の母。
Twitter: @Takeishi_Lab

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Barのマスター 竹内 薫
猫好きサイエンス作家。理学博士。科学評論、エッセイ、書評、テレビ・ラジオ出演、講演などを精力的にこなす。AI時代を生き抜くための教育を実践する、YESインターナショナルスクール校長。
Twitter: @7takeuchi7

Topイラスト ツグヲ・ホン多(asterisk-agency)

編集協力 NATURE & SCIENCE

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