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障害が「障害」である意味と、各人がそれを引き受けるあり方ついて【動画『性同一性障害は、「病気」です』にいただいたご意見についての検討】

【緊急動画】性同一性障害は、「病気」です

前々から「YouTubeで全てをさらけ出し芸」をやろうやろうと思っていたんだが、今回ちょっとした機運もあり突発的に動画を出してみたところ、ありがたいことに少し反応をいただきまして、またこちらいくつかのか重要な論点を含むものでしたので、勝手ながらここで検討させていただくことにしました。
(追記:結構広範な論点が浮かびあがったような気がするのでタイトルもそれっぽくしました)

以下のツイートから引用させていただきます。
(少々細かすぎるというか、執拗な検討になってしまっているかとも思うのですが、ツイート主のHikaruさんもある程度表に立って社会変革活動に身を投じてられている方ですし、この温度感でいかせてもらいます)


1.特定の状態にある人間を「障害」や「病気」とすることについて

私は 性同一性障害を「障害」とも「病気」とも思っていません。

ツイートより引用

身体や人格そのものは 健康であり、個別単体で見た場合に 身体障害でも精神障害でもありません

ツイートより引用

 (特に精神に関わることについて)「障害」や「病気(疾患)」というとき、それは個人と社会の関わり合いの中で定義されるというのはよくあることです。
 例えば各種の発達障害やパーソナリティ障害などもそうですが、これらは時代や状況が違えば生存や社会的立ち位置において優位をもたらす才能であった可能性も十分にあり、たまたま現代において社会との折り合い上「障害」と呼ばれているのだとみることができます。

 そしてより具体的に「なぜこれらを障害/疾患と呼ぶようになったのか」の問いに踏みいれるなら、そこには社会的に問題を抱えやすい特定形質の持ち主への公的サポートを提供するという戦略的動機があったはずです。(実際日本における自閉症なども2004年「発達障害支援法」より公的支援を受けられるようになったという話みたいです/ソース適当でスミマセン)

 この観点において、その形質を持ついち当人が自身の身体や人格を健康であると思うかどうかは、社会においてその形質を「障害」と呼びうるかどうかとはまた別の問題であるといえます。
 そして実際には自身の身体人格を健康ではないと感じている当事者も相当数存在します。

2.保険適用ほか公的サポートについて

個別で見た場合に治療が必要であれば その治療について保険適用させるのが良いと考えます

ツイートより引用

現状 「性別不合」を採用するにあたって、保険適用を除外する話は出ていません(と私は認識しています)。
一見不条理ですが 保険適用としつつ、名称としては障害という言葉を取り払いたいです

ツイートより引用

 「一見不条理」と述べられていますが、これこそ不条理そのものであると私には感ぜられます。
 「障害」でも「疾患」でもないただの「状態」あるいは「欲求」でしかないものに医療行為を施す、そのときに公的保険制度が適用されることが本当にあり得るでしょうか。ちょいと楽観が過ぎませんでしょうか。

 具体的にそのようなケースとしては、なによりまず「美容整形医療」があげられると思います。
 美しくなるために目を二重にする、鼻を高くする、顔の骨を削る、脚を長くする…人間の美への欲求は際限無く、また私はこれを肯定しますが、これらに公的な保険制度を適用して最低でも7割の金額を国民全員で負担しようという機運が、果たして生じうるでしょうか。生じたとて、それは持続可能でしょうか。

 「性転換手術は、性器の美容整形に過ぎない」とは、現在TERFと呼ばれる方々に多い主張ですが、このまま「脱病理化」を進めていった先にこうした主張が説得力をもって世間に受容される可能性は決して低くないと私は感じます。「だって、病気じゃないんでしょ(趣味か、よくいって自己実現の類いなんでしょ)」と見られる可能性は。

私個人としましても、自分自身を「障害者」として位置付けてはいませんが、それでも身体的性別越境当事者が社会においてより良く遇されるためには必要な戦略をとるべきだと考えています。

3.「自分は障害者でありたくない」について

「障害」と書かれる限り、私たちは障害を抱える人であり続けます

ツイートから引用

いつまでも 障害を持つ者であり、そのようにみなされることは 当事者にとって本意ではありません。
最終地点が 誰とも変わらない 人 を目指すのであれば、私は障害を持つ人でいたくないです

ツイートから引用

私が 障害扱いされるなら、営業マンになった意味も今までやってきたことの意味も全てなくなりますから 絶対に イヤです。

上記ツイートの引用RTから引用

 Hikaruさんのご意見には端々に「障害者でありたくない、そのように扱われたくない」という表明が現れます。
 ここに関して、少々敬意を欠いた物言いを先にお詫びしますが、率直な意見を申し上げます。

 その在り方を自他ともに全うするのであれば、あなたは「性同一性"障害"の治療」に一切踏み入れなければよかっただけの話です。

 自分のことを「障害者」と思わないあなたが、なぜ「障害」の診断を受け入れ、「障害」のための治療を受けたのですか?
 一切病院などに出向かず自分で勝手にやりたいようにやっていたとして、国がわざわざ「障害」の烙印を押しにきたでしょうか。無論そんなわけありません。
 あなたが「性同一性"障害"」の治療病院の門戸をたたき、「障害」の診断を受け、「障害」の治療を受け入れた、だからこそあなたは「障害者」として扱われるのです。

 「だってそれしかルートがないんだから、仕方ないじゃないか」
 そのような反論も誠実さに欠けると私は考えます。

 「性同一性障害」という「疾患」があり、その治療行為としてホルモン療法ほか性別越境技術が提供される。それ以外に性別越境技術を享受できない社会にある。
 こうした状況で、「障害者として扱われたくない」かつ、「性別越境技術を享受したい」のであれば(この両方を絶対に曲げないのなら)、その人がすべきことは「"性同一性障害"の枠組みによらない、性別越境技術の提供システム」の実現を目指して社会闘争をすることでしかあり得ません。
 「障害とその治療」という枠組みで性別越境技術(どころか改名や特例法という当初障害救済のために成立したシステムさえ)を享受しておいて、後から「障害者扱いは嫌だ、名称を変えるべきだ」はこれは通りません。フリーライダー、簒奪行為と呼ばれてしまっても致し方ないことです。

 既存の性別越境システムとそれを打ち立てた先人に対し誠実であるためには、すでに多くの人を救い社会上の問題を解決してきた「性同一性障害」という既存概念そのものに食い込んで瓦解させるのではなく、それとは全く別個の概念及びシステムとして、「非病理的な性別越境技術の提供システム」の実現を目指すことでしかあり得なかったはずです。
 その結果として、「性同一性障害」という概念/システムが陳腐化し廃棄されるのであればそれは真っ当な社会変革のやり方だと私は考えます。

4.まとめとか

 ここまで特定個人の方に対して随分失礼な物言いもあり大変申し訳なく思うのですが、アツく社会変革に身を投じられている同志でもあるHikaruさんならば受け止めてくれるだろうとの期待をもって現時点における正直な意見として申し上げました。

 また、こうした論点はなにもHikaruさんに対してのみでなく、現在日本においてLGBT運動を推進する主流派のあり方に対しても疑問を投げかけるものになっているかと思います。
 そういった意味でもこのような形で公開させていただくことにご理解いただければと思います。

 まだまだ当事者的な議論の足りていない分野だと思いますので、引用させていただいたHikaruさんはもちろん、それ以外の方からもぜひご意見お待ちしております。

 よろしくお願いいたします。


「性別」破壊党   阿部智恵

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