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こちら現場のサイエンスコミュニケーションにて。(本来の果たすべきコメンテーターとは)

ほんとこれ↓。

重要ですよね。意外と話し出す前で、
サイエンスコミュニケーション的には勝負がついてしまっている気がします(笑)

話す順番とか、話すテクニックももちろん重要ですけどね~
なんて感じる黒ラブです。


さて心の扉に関してでいうと、別なサイエンスコミュニケーションでも
同じことが言えて・・・
例えば、ごみ焼却場や、
福島原発の放射線を含む廃棄物の処理とかを想定しましたが・・
この時、福島県外に、最終的な廃棄物を埋め立てる問題を議論しようとする時、気をつけないといけないことがある。(経験的に)

自分に全く関係がない場合なら・・・
論理的に考えて、害がないようにしてくれるのなら、
廃棄する施設を作る事はしょうがないと考えたりする人が多いけど、
いざ・・・、自分が住む場所のかなり近くで廃棄場所がある場合だと、
それなら考えは別で、ここに設置する事は反対!になることも多い。
これはニンビー問題っていう。

コメンテーター的な人は、自分に一切関係がない立場で、
論理的に考えてただしゃべるんだけど、本当にその人の気持ち、立場になって考えると実は考えが違う場合がある。
論理的に考えられても、感情的に嫌だって思うことも人は多いから。
(どこから嫌だとか、感情は人それぞれ違うので、ここら辺が大変となる)

幽霊を信じてなくても、幽霊が怖いというか
例えば殺害現場となったマンションにお金安くするから、住んでくださいと
言われても・・・多くの人は拒絶するのと同じで

なので、コメンテーターの人は、なるべくその当事者的な感情もシミュレーションした上で、一般論的に考えを言ったり、でも当事者的には~と思うのも無理はなくて・・と両者へのコメントを言うべきだと思います
(ニンビー問題を考慮に入れる)

そうじゃないと、一般論だけ言われても、
当事者との心は離れる一方だし、
論理的に言われて間違いでもないでしょうから、より当事者だけ孤立、
世論はコメンテーターの仲間みたいな構図になるので。
当事者にとっては変なファシリテートしてしまうことになる。
弱いものいじめみたいな感じになる。

コメンテーターは、害のあるファシリテートをしてしまわないように
注意する必要が本来はある。

サイエンスコミュニケーション的には重要な要素ですね。

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