ろうちょ〜会に行ったら「新しい目」を手に入れた〜私とLab④〜
推しと話すために手話を学ぶ
一人の推しに、たった一言を伝えるために手話を覚えた。
ことの始まりは、お誘いをうけて手話パフォーマンスを観たことだった。初めて「生きた手話」を観た私は、手話の表現の鮮やかさに驚いた。手が踊るように言葉を紡いでいた。
せいぜいテレビニュースの手話通訳くらいしか見たことがなかったのだけれど、テレビで見た手話とはまったく違っていた。そりゃ日本語だってニュースキャスターの話す言葉は日常的に使う言葉とは違うんだから、よく考えれば当たり前っちゃ当たり前だ。なんだけど、やっぱり直接目で観ると全然違う。そして、演者さんの表情の豊かさにも目を惹かれた。(この表情も「手話」という言語の一部であるということを知るのは、もう少し後の話。)
ライブ終了後に演者さんたちとお話しできる時間があった。ある演者さんのお衣装が素敵だったので、「その衣装可愛い!」と言いたかったのだけれど、私はまったく手話がわからない。こんなに近くにいるのに、たった一言の感想も言えないなんて。かくして私は手話を勉強しようと思ったのであった。
未知の扉が並ぶ場所でろうちょ〜会と出会った
さて、手話を勉強するにはどこに行けばいいのか。つくば市の開催する手話講座を見つけたが、平日だったので行くことができない。筑波大の手話サークルにも入ったが、要領の悪い大学院生の私は開始時間の18時までに作業を終えることができなかった。
そんなとき、Tsukuba Place Labやup Tsukubaで「ろうちょ〜会」が開かれていることを知った。ろうちょ〜会は、「声に頼らない」コミュニケーション、例えば手話や筆談などでの交流会だ。
ろうちょ〜会を何で知ったのかは覚えていないけれど、Labの絶え間ない発信がイベントを知るきっかけになっていたことは間違いない。Labは全てのイベントがカレンダーに登録されているし、その日あるイベントは朝Facebookでお知らせされている。だから、もともとは興味のない内容のイベントでも目に入る。
そして「知ってる場所でやっている」というのは、ずいぶん参加ハードルが下がる。私は、気になるイベントがあればだいたい片道1.5時間くらいのところまでは行っちゃうくらいのフットワークの軽さは持っているけれど、一人で土地勘のないところへ行って初めて会う人たちと会話するというのはそれなりに疲れる。でも、住んでいるつくば市で、よく行っているLabで気になるイベントをやっているとなれば、行かない理由はない。
そう思うとLabはいろいろな世界に足を踏み入れるための扉みたいなものかもしれない。Labに来ただけで何かを得られるわけではないが、自分がアクションを起こせばその扉は開く。目の前に並んだ扉に気づくかは、そしてその扉を開けるかどうかは、自分次第だ。
「筑波技術大学すぐそば」の場所、Tsukuba Place Lab
そして私は扉の先に足を踏み入れた。ろうちょ〜会は単発で参加できるし、コミュニケーションは手話だけで行われるわけではないので、手話がまだできない初心者の私にもぴったりだった。
Labで行われたろうちょ〜会の参加者は、約半数が聞こえない人、半数が聞こえる人だった。そしてこの回は、聞こえない人の中でも、「筑波技術大学」の学生が多かった。そう、つくばには日本唯一の聴覚障害者と視覚障害者のための大学、筑波技術大学がある。しかも、その聴覚障害者の学ぶ産業技術学部は天久保キャンパス、つまりLabのすぐそばにあるのだ。Labは「筑波大学すぐそば」と言っていたけれど、技術大のすぐそば、でもある。
つくば市に、聞こえない人はどのくらいいるんだろう。気になって調べてみた。つくば市人口や約24万人、聴覚障害のある人の合計は約450人(出典)。そして、技術大学産業技術学部の学生数は200人。
つまり、つくば市に住む半数近くの聴覚障害者が天久保キャンパスに通っていることになる。
私は筑波大生ではないにもかかわらず、筑波大には何かにつけて行っていたエセ筑波大生なのだけれど、技術大にはそれまで行ったことがなかった(後日見学させてもらった)。関わりしろがなかったのだ。ろうちょ〜会は技術大の学生含め、聞こえない人たちとの関わりしろだった。
カルチャーショックとコミュニケーション
さて、初めてろうちょ〜会に参加してみて、これまでに意識していなかった「違い」の一端を知ることになった。
例えば、漫画表現の音のうち、どの音が本当に聞こえる音なのかわからないということ。「どーーーーん!」とか、雨の降る音の「しとしと」とか歩く音の「てくてく」とか。確かに、実際に聞こえない音や、実際とはちょっと違う音が漫画には書いてある。まさに「盲点」だった。
他にも、注目を集めるときには部屋の電気をつけたり消したりして合図すること。聞こえない人が通常の学会に行くときには、自分で手話通訳を手配しなければならないこと。そして、いわゆる「聴覚障害者」の全員が手話で話すわけではないこと。
実はそれまで聞こえない人たちはみんな手話だけで話しているものだと思っていた。けれども、ひとりひとり聞こえなさも違って、ひとりひとりの「コミュニケーション」の方法がある。聞こえる、聞こえないにかかわらず、対話のことをひとくちに「コミュニケーション」とよく括ってしまうけれど、大前提は「目の前のその人との対話」であることを忘れてはならないな、と改めて思った。ろうちょ〜会で「聞こえない人とコミュニケーションをとった」のではなく、「ろうちょ〜会で出会った〇〇さんと話した」なのだ。
きっかけは手話を勉強しようと思ったことだったけれど、言語を勉強するということは、背景にある文化とは切り離せない。まだまだ知識は充分ではないことは重々承知しているけれども、これから少しずつ、文化を含めた手話を知っていけたら、と思う。
ろうちょ〜会終了後、みんなが手話でおしゃべりしているのを見た。内容はわからなかったけれど、盛り上がっているのがわかる。まったく音はないのに手話を「見て」、パーティー会場のように「うるさい」と感じた自分が面白かった。
つくばを「新しい目」で見る
5年つくばに住み、つくばをよく知った気になっていた。ここは行っとかなきゃ!というラーメンを食べたし、大きな公園で散歩もした。たくさん科学館も観たし、お祭りにも行った。たくさんの知り合いもできた。つくばは「見知った場所」になった、と思っていた。なんなら、「茨城のつくば以外の場所も見てみたいな〜」と考えていたくらいだ。
でも、まだ全然「見えて」いなかった。ガラス窓のついたエレベーターって技大以外にないよな、とか。あれ、この歩行者用信号、音が鳴らないな、とか。知らなければ見ることはできない。ろうちょ〜会に行ったら、見知ったつくばをちょっと違う角度から見られた気がした。
最近こんな言葉を目にした。
私はまだまだつくばを知らない。つくばを見るたくさんの目を身につけて、まだまだつくばを発見したいと思った。
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