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関西弁への幻想

生まれてから大学進学までの約20年間を大阪で過ごした私はれっきとした大阪弁ネイティブだ。両親ともに関西出身なので、変に標準語が混ざったりもしていないサラブレッドと言えるだろう。もし関西人がペットとして飼われる時代が来たら間違いなく私には血統書が付く。そんなSF的な未来が来てもいいんじゃなーい?世にも奇妙な物語とかでやってくれないかしら。最初にアイデアを出したのはこの私ですよ!

さて、そんな歪んだ自尊心を抱いている私であるが、初めて自身が血統書付きであると認識したのは大学に進学したときである。
大阪から遠く離れた東北へ進学することになり、バカでかいスーツケースを抱えて駅に向かった。母親の他に地元の友人数名が見送りに来てくれ、地元にしばしの別れを告げる場が生まれた。
新しい世界へのワクワク。地元に残る友人との別れからくる寂寥感。そして親への感謝…
などが押し寄せ、涙に詰まる。友人は私の肩を叩き、
「ビッグになって帰って来いよ!」とエールを送る。ふと母親を見ると、頬が一瞬キラリと光った。
―というのがドラマ的展開だが、もちろん私の人生にそんな絵になる瞬間はやってこない。友人は帰省のお土産はこれを買ってこいだとか注文を付け、母親はGWは交通費が高いから帰ってくるなといった注文を付けていた。
そして胸中に渦巻いていたのは希望や郷愁ではなく、

「東北で関西弁使ったらモテモテになるのでは!?」

という煩悩にまみれた邪な考えだった。そこにいる全員がある意味地に足の着いた思考だったと言える。
そんな思い出を振り返りつつ、東北で6年間の学生生活を経た今、当時の私に言いたいのは

「そんなこと絶対あり得ないからまずそのダサい服装と眼鏡をなんとかしろ」

である。関西弁を話すだけでモテるという飛躍した幻想は入学早々打ち砕かれた。確かに関西弁で話すと珍しがられた。
「すごい!初めて関西弁聞いた!」
「関西弁っていいよね!」
「親しみやすくていいですよね~」
といった文言はたいてい社交辞令だ。しかしお上りさんであった私はそれを真に受け、普段使わないような無理な関西弁を必要以上に使ってスベリまくったりしていた。
「せやかて○○」とか使っていた私を殴りたい。悪いのは服部平次ではなく私だ。
結局関西弁というのはただ珍しいだけであって、「モテ」にはつながらない。左利きがモテると思って無理に左手で箸を使った結果、Tシャツを焼きそばで汚した小学生時代から何も成長していなかった。

やっぱりモテるのは基本的に清潔感のあるやつ、盛り上げ上手や聞き上手、そして言わずもがなイケメン。
当たり前だがそれに気づくのが遅すぎた。関西弁という一本鎗をボキボキに折られ、逃げ帰るように就職で関西に戻った。Uターン就職ではなく落ち武者就職と言いたい。
まだ東北だったから良かったのかもしれない。東京なんかに行っていたら再起不能なまでに叩きのめされていただろう。

今は周囲がみんな関西弁なので、特に珍しがられることも無い平凡な日々を送っている。

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