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それでも

『うわーって、うわーって、本当、うわーってなってさ』と、電話口で彼女は言った。『子どもも赤ちゃんも、妊婦も、なんにも悪いことはしてないのにさ!ひどくない?ひどすぎるよ!かわいそう!かわいそうすぎる!』そう言って、うわーん、と号泣した。さらに嗚咽を漏らしながら『あの人たちのために、何ができる?わたしには何もしてあげることができない!』と言って、電話の向こうで鼻をすすっている。

関わっているのは遠い国ではない。しかし、ここにミサイルが落ちてくる可能性が限りなく低い今、わたしはのうのうと生きている。ただ毎日を生きている。この地球で、世界で起こっていることに影響されたりされなかったりするけれど、とにかく生きている。世界の悲劇に痛みを感じていないわけではないが、生活で面白いことがあったら笑ってしまう。不謹慎かな。

『美しい街をあんなに破壊して、罪もない人をあんなに殺して、どういう考えなら、あんなことができるの?あの人たちのことを思ったらさ、いても立ってもいられないの。でも、わたしにできることといえば、わずかな献金くらいなの』わたしはどうだ。わたしは何か行動しているのか。すぐにできることといえば募金くらいか。あとは本気の祈りを捧げるだけだ。

「もう、祈るくらいしかできないよね」と思わず言ったら、『祈る?それであの人たちは助かるの?みんな、神様を祈って死んでいくんだよ?神に祈りをと言いながら死ぬんだよ?』と本気で怒った。それは絶望感に満ちた声で非常に重く、わたしを凹ませる威力があった。すみません。軽々しく聞こえたかもしれませんが、わたしはそれでも、祈ることは、何かの力になると信じています。そう言おうとしてやめた。自分の感情に流されてはいけない。

彼女は嘆く。この世界がなぜ平和でないのか。日本人はもう食べるものがなくなっていくのに、どうして行動しないのか。政府に対する怒りもある。それを放置している国民にも怒っている。

そして、話はどんどん悲惨になっていく。自分の子どもを結婚させたくないと言っている。こんな世界で結婚して子どもを産み育てることは、限りなく困難であると主張する。『もう自分はあと10年もすれば死ぬと思うのよね。そのあとは、子どもの代で終わっていいと思うの』

わたしは戸惑う。子どもの代で終わる、というのは自分の血縁がそこで消えるという意味だろうが、子どもの代で何が起ころうと、どういう生き方をしようと、それは子どもの人生なのに?子どもがパートナーと一緒に生きていこうと決め、子どもを授かることを選び、または子どもを産まないと決め、死ぬまで幸せであろうとすることをどうして自分の考えで決めようとするのだろう。

『母が言うの。長女が結婚できないのは、あんたがダメだからよ。早くいい人を見つけて結婚させて、子どもを作らせなさいって。ひ孫の顔を早く見たいって。こんな世の中なのに?信じられない。友だちが言うのよ。こんな少子化で、誰も結婚せず、子どもを作らないのは、そういう時代が来るってわかっているから、自然とそうなっているのよ、って』はあ…。そうなんですか。

世界が悪くなっている。未来に絶望している。それをわたしにぶつけてくる。

生きていくしかない。この星に生まれた限り、ここで生きていくしかない。一生会うことのない誰かのことを思いやりながら、できることを小さくても続けながら。



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