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かっとう

昨日と一昨日の記事を差し替えた理由を話そうと思う。

わたしはnoteを書く時、ひとつだけ決めていることがあった。「特定の人を攻撃しない」というものだ。しかし昨日と一昨日の記事は「自分がつらかった」と言いたいだけだったが、気づくと友人の行動を責め立てることになっていた。気づくのが遅すぎたが、それくらい辛かったし、疲れていたのだ。吐き出すことで楽になりたかった。

『表現』をする人は、その辺の折り合いをどうつけているのだろうか。自分と関わった人のことを赤裸々に書くことは、攻撃になりかねない。あるいは身内の恥ずかしいこと、逆に身内に知られると恥ずかしいことは、どうしているのだろう。

FM FUKUOKAの長寿番組「モーニングジャム」に、人気コーナー「おもろい家族」がある。身内や自分の失敗談や思い出話を面白ネタとして投稿する。それはそれは面白くて、ラジオの前で悶絶するくらい笑う。そこには「オチ」がある。(気になる方はradikoのエリアフリーでどうぞ)

あの番組みたいに、オチがあって笑える内容なら書いてもいいんだろう。今回の話はオチがない上に、わたしのグチばかりだった。反省。自己嫌悪だ。辛かったことや腹の立ったことを面白い話にまとめられなければ、書くべきじゃなかった。後味悪ーい。

ちなみに、4軒目にはひとりで行き、最高においしい「シマアジ」のお刺身を食べました。それでオールOKにしておけばよかった。

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