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せつぶん

今年の節分は、鬼事情もちょっと変わってしまうんだろうな。鬼たちが「緑と黒の市松模様を纏ったちびっ子たちが攻めてくるらしい。イノシシの頭をかぶったやつもいるらしい。どうするどうする」とか相談してるかもしれないな。と、毒にも薬にもならないようなことを考えている。

今日、福岡は寒波が緩んで、曇り空が明るく晴れてきた。風は冷たいが陽射しは暖かい。空は珍しく青く、なんとなく春が近づく気配を感じた。

春が来る、と思うだけで気分がいい。一方で、焦る。今年度も最終コーナーにさしかかってしまった。人と比べる必要はないのだが、脳内で『わたしはまだちゃんとしてない』と声がする。新学期がもうすぐなのに、何も完結していないし、解決していない。

季節が人間とは関係なく、あたりまえに巡っていく。学生の時は、人間が季節や時間をコントロールしているのだと思っていた。だから誰かに「あなたは1年生ですよ」とか「もう卒業ですよ」と言われなければ先に進めないのだと思っていたのだ。

でも今は違う。「あなたが自分で、ここで卒業と思うなら、それが卒業。まだまだだと思うなら、留年してもいい」と言われているような感じだ。

わたしの中では1年の区切りは12月31日でも、3月31日でもなく、立春が精神的な一年の始まり。そして誕生日が肉体的な一年の始まり。もちろん、年末年始にあらたまった気持ちになったり、4月1日になるとなんだかフレッシュな気分になったりもする。

一年の暦の中でそんな風になんども区切りがあるのは不自然かもしれないが、それがパターンとしてしみついてしまった。

毎年、節分までに「ちゃんとしたい」と思う。しかしなにが「ちゃんとした」ことなのかは輪郭がぼやけている。今年はそれが見えてきそうな気もするが、まだわからない。その輪郭、見えろよ、わたし。もういいかげんに、見ろよ、恐れず。



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