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ななくさ

今日は、七草がゆを食べた。この日、七草がゆを食べるのは、年末年始の飽食に疲れた胃を休めるため、また一年の無病息災を願って食べるのだと聞いたことがある。

いつもは七草を刻み、塩味で作るのだが、今回は余った鶏がらスープと粉末の昆布ダシを加えた。オットが余った餅を入れようというので、なんだか雑煮のような感じになった。ムスメは「うま〜い」と喜んでくれた。しかし、胃を休める効果があるかどうか疑わしい。

「七草って、なんだっけ?」とムスメが聞くので、「せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ」と答えると、「あ、そうか。やっぱり、せり・なずな、だよね」と言う。なにがやっぱりなのかと聞いたら、「漫画でね、芹なずなさんっていう、登場人物がいてね、その人の名前が頭の中でぐるぐるしてる」と言う。そうですか。たしかに、同じ音をきっかけに別のことを思い出すことってある。ふうん、面白いね。

そんなどうでもいいようなことを話しながら家族で食卓を囲むことができるのは、このコロナ禍の中にあって、貴重な一コマだったのかもしれない。

この頃わたしは、なにをやるにしても「これが最後かもなぁ」とか「いずれこれもできなくなるんだろうなぁ」と思うようになった。ネットでも巷でも『当たり前だと思っていたことはそうではなかった。日常をつつがなく送れることに感謝』みたいな文言をよく目にするし耳にする。素直にそう思うところで留まっておればいいものをネガティブ思考の勢いで、「もうダメかも」と思ってしまうのだ。クヨクヨしていても始まらない、と大きく構えられない小心者だ。世界中の罹患者や死者の数が発表され、各都市でのロックダウンが発表されるたびに、この世の終わりのような気がしてならない。

生きよう。とにかく頭をあげて、前を見よう。でも、今日はもう寝よう。


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