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さかなと指

朝から雨が降っている。階下に降りてドアを開けたら、リビングがさかな臭い。湿った空気の中で、さかな臭さに気が滅入る。

おととい、ブリ大根を作った。そのニオイが続いているのだ。外が寒くて、窓を開けて空気の入れ替えをせず、換気扇でなんとかしようとしたのだが、そうはいかなかったようだ。雑然とした本棚、テーブルに山積みの書類、ハンガーにかけた上着の隙間から、まるで青魚がチラチラと顔を覗かせているかのようだ。

これは母の実家の匂いだ。今はもう寂れた漁村。工業地帯の外れにあって、わたしがまだ小さい頃には、美しい砂浜で海水浴を楽しんだり、磯でカニを捕まえたり、祖父に習った水切りをするために平べったい丸い石を拾ったりしたのだが、高校生の頃から埋め立てが始まり、今ではもう、砂浜も、海岸線の磯もない。水路のようになった港では波も立たず、数隻の漁船が、コンクリートの護岸に四角く囲まれている。

祖父は漁師で、祖母は行商の魚屋だった。深夜に漁に出た祖父が夜明け前に帰ってくると、祖母は始発のバスで魚市場へ魚を買い付けに行く。肩かけのベルトがついた大きなブリキ製の缶に商売道具が入っていた。まな板、包丁、天秤ばかり、おつり用の小銭、濡れた手で扱うので、表紙がヨレヨレになってしまったメモ帳とちびた鉛筆。市場にはリヤカーが置いてあり、魚と氷の入ったトロ箱と呼ばれる木箱を積んで、所定の場所へ行く。

市場の前にある広場に、祖母がリヤカーに軒をつけて簡易の店をしつらえる。わたしは幼稚園の帰りに、よく母に連れられてそこへ行った。母は、晩ごはんのおかずを祖母から買い(おまけしてもらう方が多かったと思うが)、魚の下処理をしてもらっていた。

祖母はよく研いだ出刃包丁をあやつり、みるみるうちに魚をさばいていった。カゴに一山あるアジをスイスイと開き、イワシの頭を落として内臓を抜いた。カワハギの皮をくるりと剥いたり、フグの内臓を皮ごとプリッと剥き取ったり、アナゴの目に千枚通しを打って身いを開き、タコやイカの下ごしらえもした。それを新聞紙にくるりと包み、ビニル袋に入れて「はいよ」と渡してくれた。時には、バケツの中にまだ生きている魚が泳いでいて、お客さんに「これちょうだい」と言われてからさばくこともあった。まな板の上でパクパクと口を開けたり閉じたりする魚のウロコを取り、躊躇することなく包丁をつきたて、エラを外して内臓をスッと取り出し、三枚におろす。さっきまで生きていた魚が、あっという間におかずになるのを見ていたわたしに、かわいそうとかひどいとか思わせる隙はなかった。その鮮やかな包丁さばきに、「おばあちゃんすごい」と感心し、誇らしかった。そんな祖母の指には切り傷が絶えず、水仕事のせいかあかぎれがたくさんあって、その傷口に魚の血やイカスミやらが染み込んで、黒ずんでいた。祖母は細身で細おもて。いつも笑顔で、娘時代はさぞ美しかっただろう。その指も細く長く、本当にきれいだったと思う。その指があれだけの姿になるほど仕事をこなし続けた祖母は、強い人だったのだなと思う。

祖父はよく縁側で網の修繕をしていた。おせんべいの缶に仕事道具が入っていた。網を繕う細い紐、その紐を通して使う竹の針、大きな糸切り鋏。祖父は鼻歌まじりに網を足の親指に引っ掛け、ほころんだ場所を手元に置く。伝統の編み方で、無駄なく網は繕われていく。その太く短い指先が器用に動くのをぼんやり眺めながら、日当たりの良い縁側で、わたしはお菓子を食べていた。

そんなことを思い出しながら、わたしは魚のニオイを追い出そうと窓を開け、なんとなく手元を見た。わたしの指も体つきも祖父にそっくりだ。子どもの頃から、母が祖母に似ればよかったのにといつも思っていた。いや、今でも思う。


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