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なんなら

以前にも書いたような気がするが、ムスメから質問があったのでまた書くことにした。「お母さん、なんならの正しい使い方ってどうなの?」

このところ、とても気持ち悪い「なんなら」をよく聞く。それが「間違っている」とわたしは思っていたのだが、事象としては「伝統的でない使い方」としてかなりのスピードで広まりつつある、という解説を読んだ。

伝統的用法というのは、「なんなら」を相手に対して慮る際に使う言葉のようだ。「夕食食べますか?なんならわたしが作りましょうか」あるいは、相手が好まない状態を避けるときに使う。「チョコレートお好きじゃない?なんならお煎餅もありますけど」といった表現になる。

伝統的用法ではない、若い人たちがよく使う「なんなら」は、「あの人はよく食べる。なんなら1日に5食は食べている」とか、「あの坂はすごく急だ。なんなら直角と言ってもいいくらいだ」みたいな感じ。

意味はわかる。だが、微妙に気持ち悪いのだ。つまりわたしは、伝統的用法のみを良しとする高齢者の部類に入っているというわけだ。ヒー。

年々、重箱のすみをつつくようなことばかりを言うようになっている。それは年齢のせいだけではなく、性格の問題も大きいと思われる。細かいことが気になるのだ。

ムスメは一連の説明を聞いた後で、「ふうん。そっかー。わかった。おやすみ」と言って布団にもぐった。本当にわかったのだろうか。

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