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かんおけ

古代エジプト展。土砂降りの中、文章教室の小学生たちと一緒に、ワーワー言いながら行ってきた。

ひとつひとつ、すごい精度で作られている収蔵品を見る。よほど時間があったのか、高い技術力があったのか、とにかく精緻なものが多い。しかし、中期になると、一気にラフなタッチの絵になっていたり、ヒエログリフが筆文字のようになっていたりする。作る量が増えたせいか、職人の技に差が生まれたのか、まあ、これでいいんじゃないという考えになっていったのか。

もうね、考古学も学んでいないし、予備知識もないし、とにかく見た感じだけで、適当に解釈していく。王の名も、神の名も、そしてその姿かたちも、テキトーに見ていく。そして無責任に想像する。「この絵の人は王に真面目に仕えていたんだろうか」「こんな重たいものを持ったまま、3000年も同じ姿できつかろう」「神様の頭が鳥なのはかぶり物?」「この金のネックレスをつけていた人は肩が凝っただろうねえ」…お気楽なもんである。

立像や装飾品の群を通り抜けて、いよいよミイラゾーンである。ミイラの展示が近づくにつれ、「なんか怖い」と小学生が言い始めた。

棺の蓋部分の装飾が素晴らしくキレイで見惚れていたら、4年生の女の子が「これ、中に人が入っているんですか」と聞いてきた。いいや、もう入ってないと思うよ。「えっ。じゃあ、その人はどこに?」さあ、何か研究のために別のところに保管してあるんだろうね。「あ、じゃあ、怖くないや」  そう。遺体は怖いのだ。死んだ人は怖いよね。わかる〜。

しかし、わたしはもういい歳なので、そこに遺体が包まれたミイラがあっても、中に確実に人体があると分かっていても、怖くない。狭いところにミイラと一緒に閉じ込められたらツライが、博物館の人混みに横たわる古代の人は怖くない。そして思う。アフリカ大陸のこの人が、3000年後に異国の地でじろじろと見られることになろうとは。

亜麻布でぐるぐる巻きにされ、そのうえを樹脂で塗り固められたミイラは、どれもスマートな印象だった。布の巻き方も均一だし、規則的に巻かれた状態はキチッとキレイである。これは職人の技だろう。

一方、不格好に巻かれたミイラもあった。これ、シロウト巻きだな、と思った。するとその横に、このミイラの中の人の模型があった。美しい女性だった。えー、こんなに不格好なミイラなのに、中にはこんなキレイな人が包まれているのか。さらに、その女性はエリート層の人だったそうで、ミイラ職人の技術もそれ相応だったに違いない。なのに、なんでこんなにボヨヨンとなっているのか。

それにしても、内臓や脳味噌を掻き出して保管するなど、誰が思いついたのだろう。死者が永遠に生きるため、魂の器である体を保管する。宗教的な思想に基づいているとは思うが、「無理じゃね?」と思う人はいなかっただろうか。古代エジプトの人はみんなピュアだったのね。

いわば棺桶はオーダーメイドで、スタイルは同じでもサイズはバラバラだった。どれも美しく装飾され、その内側にも呪術や銘文が書き込まれていた。ミイラを包んだ後に施される樹脂の塗布。カプセルに入れられたような形だ。3000年も経って、その存在があるという不思議。やはり、永遠の肉体を手に入れたのだ。
しかし、下層の民はミイラにされることもなく葬られているのだから、お金や権力によってその差が出るのは、今も昔もあんまり変わらんね、と思う。

雨上がりの道を小学生と帰る。口々に「ミイラすげー」「ネックレスかわいかったやん?」とか言いながら。






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