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はかいし

墓参りの夢を見た。厳密に言うと墓に参る夢ではなく、「墓参りに行きたい」とオットにリクエストする夢である。

夢の中で「お墓参りに行きたいんだけど」と頼むと、オットはコクリとうなずき、「わかった」と言った。こんなにもあっさりとオッケーしてくれるなんて、とわたしは嬉しかった。なぜなら、ここ10年「お墓参りに行きたい」と言い出せずにいたからだ。

オットの実家のお墓は離島にある。行くとなったら何ヶ月も前から計画をたて、万全を期して用意をしなければならない。「明日お墓参りに行こうか」と発案して行ける場所ではないのだ。オットの父が亡くなって、納骨するまでに万象繰り合わせるのに3年がかかっている。

オットは「死別」に対して真面目な人だ。不真面目な人、というのは滅多に見かけないが、耐性の強い人、というのはよく見かける。つまり、オットは死に対する耐性が弱いのだと思う。死者に対する敬意がそうさせるのか、弔事にはいつも礼儀正しく向き合う。自分に近い人であればあるほど、葬儀はもとより、墓参りや法事などの際にその悲しみと寂しさが増すようで、だからわたしはお義父さんの死を連想させることができなかった。

しかし、どういうわけか、ここ数週間、わたしのご先祖が呼んでいたのか、どうしても墓参に行きたいのだ。墓掃除がしたい。だから夢から覚めて「あ、夢だったのか」と落胆した。

それから1週間、躊躇に躊躇を重ねたけれど、ここはひとつやはり言ってみるかとチャレンジした。「わたしがお墓参りに行きたい、って言ったら、あなたがいいよ、ってうなずく夢を見たんだよね」と言ってみた。

「いつ」と聞かれたので「先週かな」と答えたら「そうじゃなくて、いつ行きたいのか」と言う。「来週お彼岸なので、この三連休のどこかで行けたらいいな」と遠慮気味に頼むと「わかった。後でお墓の場所を詳しく教えてくれ。10年くらい前に行ったきりだから、場所がよくわからない」と言った。

そんなこんなで、昨日、わたしたちは墓参をした。きっと草茫茫になっているだろうから、と想像して、長袖長ズボンで、ハサミやゴム手袋などを用意して行ったのだが、雑草は一本も生えてなかった。不思議。

ムスメとわたしは墓石をスポンジで磨いた。半年前に他界した父の遺骨はまだ、実家にある。お墓の下に眠っているのは、ムスメの曽祖父母より前の人たちである。会ったこともないご先祖の墓石を磨きながら、ムスメは「知らん人ばっかりだよね〜」とぼやいている。そんなことないよ。ご先祖が喜んでいるよ、と励ます。

その間、オットは「草むしりのつもりで来たのに、やることがないなあ」と言いながら墓地の駐車場やご近所のお墓を眺めていた。ここまで運転して連れてきてくれたのだし、水の入った重いタンクを運んでくれたので、ヨシだ。

掃除が終わって、ムスメが花をいけて、わたしが水と供物を用意し、オットが線香に火をつけ、三人で手を合わせた。

墓石に刻まれた家紋を見て、ムスメが「昔のお金みたいなマークだね」と指差すと、オットが「真田丸っぽいな」と言う。ムスメがすかさず「それは違う」と否定した。お墓の前でも相変わらずのわちゃわちゃである。

墓石は白い雲の浮かんだ青空の下で、ちょっと光っているようにも見えた。

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