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きずぐち

わたしは正面から物事を受け止めがち。直球で受け止めるので、荒い玉を受けると凹みもすごいし、いつまでも傷が残る。

ずっと前から「この人との付き合いをどうしたものか」と思っている人がいる。その人が嫌いなわけではないのだが、わたしはずっと対等ではない気分を味わっている。向こうから投げられる球を無防備に全身で受けているような感じだ。こちらからたまに投げ返すと倍になって返ってくる。

若い頃にそれはそれはお世話になった先輩なのだが、わたしにしょっちゅう電話をかけてきて、グチをこぼす。そのつもりはなくて電話をかけてくるのだろうが、最終的にはグチとか世を憂えて悲観的なことを言う。その度にわたしは凹む。電話を切った後、全身が擦り傷だらけになったような気持ちになっている。

話の内容が重いので、さらっと笑って、まあそんなこともありますよね、とは言えないし、わたしに言われても困ります、とも言えない。辛い話が長くなると電話を切りたいが、切れない。「あなたくらいにしかこんな話はできないわ」と言われているので、「聞かねば」と思う。

先日、カウンセラーの友人にその話をしたところ、「その関係を切ることはできないの?」と言われた。いやー、やっぱり若い頃にめちゃめちゃお世話になったから、むげにはできない、と答えると、「いや、もうその恩返しは十分終わってると思うよ」と言われて、人づきあいってそういうものなのか?と思った。

「で、あなたは何でそれを聴き続けてるの?」と聞かれて、「んー。気の毒だから?わたし以外にそんな話をできないって言われるから」と答えたら、「あー、それはマウントだね」とすっぱり切り捨てられた。

「あなたはマウント取って気分がいいんだよ。そうやって、この人かわいそうね、わたしが聴いてあげなかったら、誰も相手してくれないんでしょ?って思うと気分がいいもんね」。そんなふうに思ったことはないつもりだが、確かに、わたしが聴かないと誰も聴かないよなこんな話、と思っていた。聴かないといけないよなー、と思っていた。それがマウントだったとは。

わたしが聴くから、先輩がグチをこぼすのか?さらに先輩にグチをこぼさせて、わたしが気分良くなっていただけなのか?いや、向こうから電話してくるのよね、と言ったら「出なきゃいいんだよ」。スパンと一刀両断。

「たぶん、その人は変わらないよ」と言われて思うのは、「人と過去は変えられないけれど、自分と未来は変えられる」という言葉だ。わたしがどこか少しでも変わればいいのだ。そうしたら、先輩との関係性も少しは変わるかも。

先輩との関係はたぶん、すっぱりと切ることはできないと思う。もう、四半世紀も姉妹のような感じで付き合ってきたのだ。
20代に知り合って、初めて一人暮らしをするわたしは、彼女に何から何まで世話を焼いてもらった。だから、彼女は姉のようにいつまでも、わたしを「頼りなくて、自分だけでは何一つできない妹」と思っているのだろう。そしてわたしはそれを演じていたのだ。彼女が望むわたしでいることが、最良だと思っていたのだ。

いつもいつも、「ポンコツですみません」というわたしでいることで、彼女を安心させようとしていたのだ。それがマウントだったとは。目から鱗。

実は、カウンセラーの友だちにスパッと斬られて、心は痛い。しかし、膿はもう出た。鋭利な切口だから、閉じるのも早いだろう。あとは治るのを待つだけだ。もう、全身が擦り傷だらけになりながら、千本ノックみたいにグチの球を受け続ける必要はない。わたしはわたしをアップデートし続けていけばいいのだ。


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