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くうふく

こんな時間に腹が減っておる。あかん。あかんよ、食べたら。

子どもの頃、空腹を訴え「なんかなーいー?」と聞けば、おばあちゃんがおにぎりを握ってくれたり、有り合わせの何かをどうにかしてくれた。中学生になった時、従兄弟が生まれて、おばあちゃんは伯母の家に移ってしまった。それからは自分でどうにかしないといけなくなった。

どうにかしたいが、どうにもならない。料理のスキルが全くないので、食パンにマーガリンを塗るとか、ごはんにふりかけをかけるとか、そういうものを食べた。

ある時、父が「何か作ってやる」と言った。「なんか材料があるかね?」と聞くので、「特にない」と答えると、わたしに食パンと玉ねぎを持ってくるように言った。その組み合わせが全くピンと来なくて、何を作るつもりなのかさっぱり想像がつかなかった。
父は、玉ねぎをみじん切りにし、さらにそれを塩でもみ、水にさらした。

「冷蔵庫からカラシとマヨネーズを出して」と指示があり、それも用意した。父は、ザルに玉ねぎをあけ、水を切った。さらに、素手でそれをぎゅっと握り、水気を絞り出す。皿にマヨネーズと少量のカラシを混ぜたものを作り、その中へ絞った玉ねぎを入れ、混ぜた。

サンドイッチではない。一枚の食パンにそのフィリングをのせて、半分に折りたたむ。「はい、どうぞ」と差し出されて、弟とわたしはそれを食べた。「うまいかね?」と父はわたしたちの顔を覗き込んだ。「うん」と答えると、「そうか、そうか」と満足げだった。
「お父さんが若い頃に、よく作って食べた。マヨネーズがない時は、塩もみした玉ねぎだけ挟んで食べたもんだ」と笑っていた。一人暮らしのひとり飯だったのか。

父がギュッと絞った玉ねぎは、本当に水気がきれいに抜けていた。父は弓道をやっていたことがあるらしく、握力が強かった。握った指の太さとか、手のひらの厚みとか、そういったビジュアルが今も思い出せる。

大人になって、わたしは家を出た。実家に帰って、「なんかなーい?」と聞いたら、弟がその玉ねぎサンドを作ってくれた。「忘れてなかったの?」と聞いたら、「たまに作りよるよ」と答えた。

意外。父の教えは息子に引き継がれていた。


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