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たしかに

ムスメが公立高校に合格した。身近な人も、まだ会ったことのないネットの人も、たくさんの人が応援してくれたおかげだと思う。わたしが心配しすぎて、頭がおかしくなりそうだったのをnoteではずいぶん励ましていただいた。ありがとう、と一言のお礼で済むとは思えないほど、助けてもらったのだ。心からありがとうございます、とお伝えしたい。もちろん、合格したからといってその先が安泰とは限らないのはわかっているが、ひとまず、志望校に合格したことを祝いたい。神様、仏様、みなさま、感謝しています。

このところ、父の話ばかりしているので恐縮だが、今日も父の話。2月9日に「3月10日が入試だから、その後にムスメと来るよ」と言ったのが最後の見舞いとなった。コロナ禍でのお見舞いルールは『月に1回、二人まで、10分間』だった。そうでなければ、もっと会いに行けたというモヤモヤした気持ちがつきまとう。

一昨日、葬儀も終わり、入院費の精算と医師への挨拶をしに病院を訪ねた。父は、前日の日中は普通と変わらず、意識もあったと教えてくれた。ただ、もうどうなってもおかしくない体調ではあったので、明け方に急変してしまった時、手の施しようがなかったのだそうだ。

わたしは「10日のムスメの受験が終わるまで、がんばって応援してくれて、そこまで待ってくれたのだと思います」と言った。医師は「そうですか。もし、お父さんに日にちの感覚がわかってて、そうだったらすごいことですね」とにこやかな表情で言った。それは、科学的にはありえないけども、遺族の「こうあって欲しい」という思いを肯定しておこう、というギリギリの返答だった。わたしはふふふ、と笑いながらも目が1ミリも笑ってなかった。医師は「で、合格したの?」と聞いてきた。「いえ、まだ結果は明後日です」と答えると「そうですか、合格してたらいいですね」と言われて、そうですね、みたいな曖昧な返事をして帰ってきた。

今朝、ネットで合格を確認し、母に電話で伝え、父にも報告してもらった。

思い出す。わたしが高校に合格した時、家に帰って玄関を開けると、黒マジックで大きく「おめでとう」と書かれた紙が貼られていた。父が職場を抜けて、合格発表を高校まで見にいき、わたしが中学校に報告に行っている間に自宅に戻って、メッセージを貼っておいたのだ。そんな父が元気なら、ムスメにどんな言葉をかけてくれただろう。きっと、合格でも不合格でも、ニコニコして「よくがんばったね」と言ってくれただろう。結果がどうでも、進んでいく道に幸多かれと願ってくれたはずだ。だから、旅立つのを合格発表まで待たなくてもよかったんだろうと、わたしは思う。たとえ医師がなんと言おうと、科学的にどうだろうと、わたしは確かに、そう思う。


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