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餅を殿様に焼かせてはいけない

子どもの頃、雑煮と餅はお正月だけの食べ物だと思っていた。少なくとも餅は、冬の食べ物だと思っていた。その理由は、おばあちゃんが餅を焼くときにストーブを使ったからだ。ストーブの上で餅の裏表をくるくると返しながら、おばあちゃんが言った。「昔から、魚は殿様に焼かせろ、餅は乞食に焼かせろって言うんだよ」

どういう意味かと尋ねたら、裕福な人はおっとりしていて、焼けるのを待つことができる。魚のように身が崩れやすいものはじっくりと片面ずつ焼くものだから、火が芯まで通るまでじっと待てる人に焼かせろ。一方、お腹が空いている人は、まだかまだかとせっかちに、早く焼けないかと、餅を裏返す。すると焦げつくことなく、こんがりと焼ける、という例えだと教えてくれた。明治生まれの例え話の残酷さよ。…と思っていたら、なんとこれは「故事ことわざ辞典」に載っていた。そしてその真意は「適材適所」であり、決して餅の焼き加減のことを言っているわけではなかった。

さて、餅の話に戻る。おばあちゃんは焼いた餅を子ども好みの「砂糖じょうゆ」や「きな粉」で食べさせてくれた。当のおばあちゃんはといえば、お茶碗に焼いた餅を一つ入れ、熱い湯とひとつまみの塩をふりかけて箸で食べた。たまーに、永谷園のお茶漬けの素を使うこともあった。考えてみたら、餅はもともとお米なんだから、お茶漬けみたいに食べたって不思議じゃない。おばあちゃんは美味しそうに食べていた。

オットとムスメは餅好きだ。オットは「餅は餅焼き網で焼かないとうまくない」と言い、ガスコンロの直火で焼く。しかし、殿様焼きだ。「まだ膨らまないなー」とか言いながら見ている。「ひっくり返しながら、両面に熱を均等にくわえて焼いた方が、早く焼けるし、焦げないよ」と説明をしたら、「ふーん」と言って餅を返し始めた。ところが菜箸が上手に使えなくて、餅が滑る。「あちっ」「わっ」とか言いながら、おおごとになっていった。

ムスメは小さい頃から餅つきが好きだ。つきたての餅の柔らかさと温かさ。その感触が好きなのだろう。実家の餅つきの日は、夢中になって餅を丸めていた。実家といえば、わたしの母は、いつもぎりぎりのスケジュールで生きている人で、正月準備も同様。毎年、暮れに「餅の準備をしなければと思ってはいるが、まだできてない」みたいなことを言う。そして「一夜飾りは縁起が悪い。かといって、29日に餅をつくものではない」と言い、自ずと30日が餅つきデーとなる。そうやって母は、慌ただしい時期に拍車をかける。29日の餅つきは「二重苦」になるそうだが、「福(ふく)」と読み、この日を選んで餅をつく人もいるらしいから、もうどっちでもいいんじゃないの、とわたしは思う。

餅についての記憶の引き出しを開けたら、次々に餅エピソードが出てきた。雑煮餅の話はまた今度。




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