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お茶を飲もうっと。

ザクッ。小さいシャベルのような形のスプーンを茶葉の中に差し込んだ。新しい缶を開けたのだ。渋い感じの茶葉の香りと相まって、レディグレイの柑橘系の香りが広がった。

このところずっと、天気が悪い。晴れ間もちらほらあるのだが、傘のいる日が続いている。昨夜から雨足が強く、朝になっても止まなかった。

「年明けからおてんとうさまをずいぶん見てないな」とオットが言った。おてんとうさまが出ている時に昼寝していたからな、と返さなかったわたしはエライ。実際、オットは休みの日には一日中カーテンを閉めて昼寝をしているし、平日は会社にいて、ビルの中では太陽の光は実感できず、LEDの光でイライラしているに違いない。だから気づかないだけで、太陽に出会えないのは向こうのせいではなくて、あなたの都合ですよ、と言いたい。でも、皮肉を言いたいのは、こちらの精神状態がよくない証拠だとわかっている。

皮肉を言わないと決めて、でも言いたくて、結局言って失敗してきた。皮肉はオットの方が何枚もうわてなのだ。宮大工の文化財修理のようにピタリと決めてくるし、エッジが美しい。よく切れるナイフのように、切られた時は一瞬気づくのが遅れる。そして時間が経つごとにじわじわと痛みが広がっていく。そうか、皮肉を言われたんだと怒りに変わった時にはもう遅い。

皮肉屋にありがちなのは、自分が皮肉を言われた時に倍返しをすることだ。負けん気が強い人は、相手をコテンパンにするまでやめない。それも、打っても打っても返してくる錦織圭のように、こちらが自滅するまで粘る。

口では勝っても、その行為は下品だと思う。つまり、自分の品格を下げているのは自分だということ。下品なやりとりを深めないためには、最初から相手にしないこと、ましてや自分から引き金を引かないことだ。

皮肉屋だと言ったが、実はオットはそこまで嫌味な人間じゃない。頭の回転が速いだけだ。「思いついてしまう」のだ。その証拠にダジャレのクオリティにはなかなかのものがある。つまり、常に「会話をどう返すか」のフォームができているというわけだ。考えないでもすぐに打ち返すことのできるよう、思考回路に待機電源があるに違いない。いや、脊髄反射なのか。

親父ギャグは、前頭葉の働きである「言葉の制御機能」が年齢とともに衰えるからだ、と聞いたことがある。思いついたことを言わずにはいられない、というのだ。そうかもしれんな、と思いながらも、オットのダジャレを聞くのは面白い。じゃあ、どんなこと言うの?と聞かれても覚えてないくらい些細なことの羅列なのだが、テンポが良くて、笑えて、「よくまあそんな次々に出てくるな」と感心する。このごろはムスメも心得たもので、すぐにツッコミを入れて、親子漫才を見ているようだ。

だから、そちらの道を選ぶことにした。オットがダジャレを言って、ムスメがツッコンで、わたしが笑う。皮肉を言われても、返さない。「はいはい、すみませんね」と言って、深追いさせない。

そのためには、わたしにも手助けの小道具がいる。今日はお茶だ。よし。


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