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まんばい

今日は、2023年に3回しかないラッキーデー、「一粒万倍日」と「天赦日」が組み合わさった日らしい。3月21日はこれに「寅の日」が加わって最強の開運日だという。
では、開運日に何をしたらいいのか、という話だが、聞いたところによると、「何かを始める」「決断する」のがいい。逆に、「借金」や「けんか」は後々になって何倍も苦しむことになるから絶対にダメなんだという。

わたしは今日、何を始めようかなと思って一日の大半を過ごした。そして、いつもと変わらない、平凡な一日が終わろうとしている。一般的な家事をやって、夕方からゴロゴロして、夕食が終わって、ちょっとだけお酒を飲んだ。昨夏に亡くなったBARのマスターの形見としてもらったウイスキーが、ほんの少しだけ残っていたので、飲み干したのだった。飲み始め?今年は大酒飲みになるのだろうか。それで肝臓をやられて健康を害するとか?

コレ。夏にもらった時は、底から5センチくらいはあった。

その後、宿題が捗らないムスメとケンカした。「一粒万倍日に喧嘩はご法度なのに」と言ったら、ムスメが「そんなの、当たるかどうかもわからん!」と言ってめちゃくちゃ怒っていた。なるほど。

なんとなく、ここ数ヶ月の間、わたしは「風習」とか「伝説」とか「吉凶」といったものに左右されやすくなっている。なんでだろうかと考えたら、TikTokを見ているからだ、と思った。YouTubeよりもTikTokの方が見やすいので、ヒマな時にチラチラ見ていた。すると、おすすめの動画に「開運」とか「運気爆あがり」みたいなワードが続々と流れていて、しかも、「神様はこういうことが嫌いだからしてはいけない」とか「◯月◯日には、宇宙がこうなっているから、こういうことはしてはいけない」などの話が次々と出てくる。

迷信、と言ってしまえばそれで終わりのような話だが、なんとなくおばあちゃんもそんなこと言っていたなあとか、信じないよりも信じていいことがあった方がいいやとか、そんな感じで軽く受け止めていた。それが、じわじわと自分の思考を左右するところまで影響していることに気付いた。

もちろん、日の吉凶については、星回りとか何かの根拠があるのだろうと思う。でもそのことに振り回されては本末転倒。極端に言うと、運が良くなるためなら手段を選ばない、みたいな話になりかねない。そうなるともう、迷信の呪いである。尊敬する大僧正の「日の吉凶を占うより、その日の自分の行いを振り返りなさい」という言葉を思い出した。

そんなわけで、何かを始めるとか、決断するということは特になかったが、後少し残された今日という日を大事に過ごそうと思う。
あと二時間、なにをしようかなあ。


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