映像研に手を出したら
先週末、お義母さんが入院したので帰省をした。病院は面会に規制がかかっていて、ほとんどオットの実家で過ごした。お義母さんの家にはテレビがあり、新聞が届き、炊飯ジャーや給湯ポットがある。なんと便利で文化的。一方で、洗濯機が二槽式というとんでもないトラップがあったが、大惨事の修復を含め、概ねなんとかなった。
オットが録画しておいた『映像研には手を出すな!』を見た。しかし、4話からしか録画されていない。「どうして1〜3話はないのか」と聞いたら「たまたま4話目の放送日に実家にいて、むしろ毎週録画する設定をしておいたことを褒めてもらってもいいくらいだ」と言う。そうか、では褒めてつかわす。と、浅草氏のモノマネをやってみたところ、調子にのるなと睨まれた。それはさておき、9話まで見た。おもしろいじゃないの!
半年くらい前に「デッドデッドデーモンズデデデデストラクション」のことを投稿した時のような高揚感があった。アニメを作りたい女子高生が主人公だが、恋愛キャッキャだったり日常のほんわかまったりではなく、好きなもの、夢に向かって爆進するスポ根モノや冒険モノに通じる感がある。作者の大童氏は「コレというジャンル分けは難しいけど、まあ『オタク』ですかね」と言う。きっと「オタク」の一言には収まりきらない何かがあることはわかる。(この会話を含む、岡田斗司夫氏と大童澄瞳氏の対談はすごく面白いので、興味と時間のあるオタク圏の方はぜひご覧ください。こちらも。)
この若きクリエーターは本当に25歳(当時)なのか、と思う。賢すぎてわたしの頭ではついてけない、ということではなくて、賢い頭の中をわたしにもわかるように話してくれる。脳の中の語彙と判断力がビシッと繋がった回路でサクサクと言葉が出てくる。こういうのを頭がいい人って言うのかもしれない。少なくとも、理論的で、理知的。膨大な知識量(たぶん偏りがあるはずだが)があり、アプトプットが素晴らしい。これがオタクというものなのか。大事なのはアウトプットだ。
んー。ここまで書いて、考えがちっともまとまらないのだが、これは昨日「出し切った」せいだということで。今日はこの辺で、ドロンします。