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ははのひ

少し前のドラマ「私の家政夫ナギサさん」で、「わたしはずっと、お母さんになりたかったんです」とナギサさんが言うのを不思議な気持ちで見ていた。お母さんの何に憧れていたんだろう。そのお母さんは専業主婦のことだろうか。それとも外で働くお母さんだろうか。誰のお母さんだろうか。子どもだけのお母さん?それとも夫を含めた家族全員のお母さんだろうか。

この写真をフェイスブックで見かけた。
Because mom's are the real heroes.と書いてあった。「母は強し」「ママは偉いなあ」とコメントする人が多かった。その「他人事」感にゾッとした。

子どもを抱えた女性の背中にのしかかるのは洗濯機、掃除機、買い物かご、アイロン台、電子レンジ、ベビーカー、わけのわからない生活のごちゃごちゃ。それらに押しつぶされそうになりながら、それでも歩いている。歩くしかないのだ。

わたしには、これは母の素晴らしさを賛美するためのオブジェではなく、性別による社会的役割分担を一身に受けて虐げられている人にしか見えない。

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誰の作品かなあ。


このCMも思い出した。

架空の求人情報で人を集め、面接をする。面接官は仕事の説明をする。「365日、24時間、休暇も睡眠時間も休憩もナシ。無報酬です。」
みんなは「非人道的だ」「ありえない」と言うが、「世界中で何億人もが従事しているのだ」と説明を受ける。「誰ですか?」「それはママです」と種明かしをすると、みんな笑顔になり「ママ愛してる。感謝しています」と言う。「どんな時もそばにいてくれて、どんな時も愛してくれた」と語る。そんな感謝をしたためたカードを母の日に贈りましょう、というCMだ。でもなんかズレてる気がしてならない。モヤモヤするのだ。

「ありがとう、ママ。」そこに嘘はないと思う。世の中にはいろんな家庭があるし、生き方は自由だ。誰かの生き方を否定するつもりはないのだが、ママってすごいなと他人事みたいにものを言う人たちは「女性はこういう生き方が当然」と思っているように感じる。そこがちょっと気味悪い、と思うのだ。もちろん、男性が家事や子育てを積極的にやる家庭もあることは承知している。もはや、性別でどうこう言う時代でないこともわかってはいるのだが。

ムスメが生まれて間もない頃、仕事でお世話になった事務所に顔を出した。社長に「またお仕事ご一緒させてください。よろしくお願いします」と言ったら、「今は、あなたは子育てに専念しなさい。仕事はしなくていい。旦那さんが頑張るでしょ」と笑顔で言われた。子どもを保育園に預けてすぐに仕事に復帰しようと思っていたわたしは焦った。ムスメは平均の半分の体重で生まれたので、それを心配したオットも「家で子育てに専念してくれ」と言った。

あのとき。「いや、それでもわたしは働きたいのだ」と言ったらどうだったろうか。あなたに仕事と家事は両立できないでしょうと諭されただろうか。それとも、子どもの世話と家事を完璧にやるなら働いてもいいと言われただろうか。俺より稼ぐならお前が働いて、俺が家のことをやる、と言う男性もいると聞いたことがある。オットもそんなことを言っただろうか。

結局、わたしは子育てを優先した。そして、その結果が今日にある。

生き方はそれぞれ。ただ、人生は二つあるわけじゃない。たらればを言えばキリがないし、望んで選んだわけではない生き方をしていても、その人が不幸とは限らない。それでも、世間が思う「母」があまりにもステレオタイプなのはどうかと思う。「型」ではなく、ちゃんと自分のお母さんの個性を見て欲しい。




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