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せっかく

中秋の名月が夜空に浮かぶ。中秋の名月が満月だったのは8年ぶりだそうだ。死ぬまでにあと何回見ることができるだろうか、と考えることが増えた。でも、よく考えてみれば、明日死ねば0回だし、120歳まで生きていたとしても、天候や体調やロケーションなどの条件が揃わなければ見ることはできない。そう考えると、今回は『見られてラッキー』くらいに思っていた方がいいってことかな。

15年以上も前の話で詳細を覚えていないが、ある美術館が「100年に一度のチャンス。見逃すな」みたいなキャッチコピーのCMを打ったことがある。門外不出の絵画が日本で展示される。このチャンスを逃したら、2度と見ることのできない貴重な作品ばかり、という触れ込みだった。

わたしの友人は「行かなきゃ」という気持ちになったらしい。「見にいく?」と妻に聞いたら「興味がないから行かない」と言う。「でも、100年に一度のチャンスだよ」と念押ししたら「100年に一度とか千年に一度とかいうけど、そもそも私たちは生まれてから死ぬまで、たくさんのチャンスを逃している。世界遺産だって、それを知らずに生きている人たちだっているわけで、今回の展示を見なくてもわたしの人生に影響はないと思う。むしろ、自分に興味があってどうしても見たいものがあるなら、どこにだって行く」と答えた。潔いなあと思う。

せっかくだから、見なきゃ。食べなきゃ。そんな気持ちに動かされる人たちは、自分も歴史の目撃者になろうとしているかのように列に並ぶ。オリンピックも万博もワールドカップも遷宮も、その時にその場所にいることで特別な気持ちになる。貴重な体験は人生を左右することもある。知らなかったものに触れることで、新たな世界を求めるようになることもある。だから、「せっかくだから見る」でも、「別に興味ないから見ない」でも、選択はどっちだっていいと思う。

わたしはどうだろうなあと思う。これまで割と多くのことを「せっかくだから」と、そのチャンスを逃さないように、見たり聞いたり食べたりしてきた。そして、見たり聞いたりしたことに人生を動かされたかと言うと、よくわからない。たいていは「あの時、見たなあ」と後から思い出してワクワクしたことや感動したことを反芻するだけ。でもそれもまた「せっかくだから」と行ったことで得られるものだ。別にそれでいいんじゃないかなあ。

まあ結局「せっかくだから」と思う自分は欲張りってことなんだろうな、と思っている。

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