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【036】後になって”あれは必要な悲劇だった”と思えること

”やばい、人生終わった”
…って思うような悲劇でも、後になってあれは自分の人生に欠かせない1ピースだった、と思えることってありますよね。

今までにそんな経験はいくつかあるのですが、その中の一つが、高校生の時に就職試験に失敗したことです。

私が育った家庭は子供が3人の母子家庭でした。経済的に苦しい身の丈はわきまえていたので、長女として高校を卒業したら社会に出て家計をささえるという意思決定はとても自然なものでした。たまたま進学校には入学していたのですが、それは家から徒歩5分の、最も近くて安い公立高校だったからであって、大学受験のためのチョイスではありませんでした。

就職試験は高校3年生の夏休み中に行われます。学校推薦ゆえに1社に絞る必要があったのですが、その代わり合格は比較的手堅いと言われるのが高校の就活です。私の選択は当時新進気鋭のベンチャー企業だったリクルートです。

が、結論としてリクルートの就職試験は落ちました。想定外でした。
”真面目そうな性格が当社に合わない”というフィードバックもいただいて。

面接では、尊敬する人とか、最近読んだ本とか、かなりそつなく受け応えできたので自信満々だったのですが、今なら私の戦略ミスだったことがわかります。高校生の私は会社のカルチャーに対応する知恵は持ち合わせていなかった・・・真面目を装ったのが裏目に涙。

学校推薦なので違う会社を受け直すことも叶わず、合格したら東京で働くつもりだったので、いろいろな未来予想がリセットされました。一転、人生お先真っ暗に。

その夏に、当時のクラス担任の先生から提案されたのが「どうせやることがないなら、大学受験をしてはどうか」と。

先生との対話は連日続き、家の経済状況を忖度している私の本心を知って、私設の奨学金のリストを作ってくれたうえに、進学を反対する親の説得まで買ってくれました。今となってはどんなお礼をしても足りないほどのお世話になりました(数年前に他界されていますが、卒業後も手紙や対面でご連絡させていただいていました)。

そして遅ればせながら高三の秋から受験勉強に集中し、志望大学にも合格。国の奨学金の他に、担任の先生が斡旋してくれた返済不要の私設の奨学金に二つもお世話になりつつ、無事大学も卒業。

高校三年の夏に、就職試験に失敗して未来の選択肢を失うという体験がなければ、東京の大学に行くという”我が家にとっての非常識な選択”をすることは絶対にありませんでした。なのであの時の就職試験の失敗は私の人生においては、必要な悲劇だったのだなあと思っています。当時は泣きましたが。

今目の前にある悲劇は、未来の幸運のきっかけなのかもしれないし、その逆の現象も起こりうるのかもしれない。そう思うと、何が起こったとしても右往左往せず受け入れることがよいんだろうなと。

まだそこまで人間できていませんが笑。努力だけでも。

写真=なつかしの母校、青森高校です(2017年9月に久しぶりに訪れて撮影byじぶん)











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