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旅の再開

コロナもあってもう何年も旅行へ行っていない。
先日日本に一時帰国したのみで、メキシコ国内でも行きたい場所へ行けていないのが実情。

10月くらいにカンクン(トゥルム)に行きたいなーと思っていて、年末(クリスマス)にはパートナーのいる国コロンビアのサンタマルタ(ビーチ)に行こうかなと思っている。そこに彼と彼の両親がマンションを買ったので、ホテル要らずで滞在できるし、ずっと行ってみたいと思っているタイロナ自然国立公園からすぐ近いところにそのマンションがあるという。

メキシコも8年目に入り、コロンビアへも5回くらい行っているので、なんとなく中南米の雰囲気はわかってきた(というか飽きてきた笑)。
元々は東南アジアやビーチが大好きで、二十代のころは、タイやフィリピン、インドなどへ行って、そこで食べる屋台のご飯やあの安っぽく危うい熱気に心底魅了されていた。
今でも大好きである。今、物理的に昔みたいに気軽に行けなくなってしまったけど、メキシコにいたってかなりレアな「タイ料理屋」を探して食べに行くくらいタイ料理が好きだし、やっぱり自分はアジアの魂を持っていると、ここ中南米でも思う。メキシコは好きだし住みやすいし、もう7年もいて半分メキシコ人みたいに無意識に日々を生きているけど、魅了されて恋して住んでるというわけではない。情熱を注いでいるのはスペイン語に対してであって、土地に対してではない。(最近はその情熱もさぼりがちだけど…)

宗教も関係しているのかもしれない。
自分は無宗教だけど、仏教に興味があってその教えや仏閣に惹かれるし、ヒンドゥ教のあの雰囲気や、インドに行ったときにあったイスラム教のモスクも、神聖な佇まい、そして中で礼拝を教えてもらったあの経験がとても新鮮で、今でも覚えている。
でも、このメキシコのカトリックにはそれを感じられない。
カトリック教会に入っても、何も感じられないのである。生意気なことを言うと本当にここに神様がいるのか感じられない。
何故かはわからない、ただ単に興味を惹かれないのだ。

海外(メキシコ)の生活は自分には合っていて、これから別の国での暮らしも視野に入れている。
一番の候補はパートナーのいるコロンビアだけど、そうするとわたしの魂はまたも燃え上がらないまま生活をすることになるだろう。
ラテンアメリカにはその歴史の浅さからか、アジアや日本で感じる「奥深さ」を正直感じられないのだ。

まだ知らないヨーロッパやトルコにも旅行へ行ってみたい。
若いころのエネルギーはアジアのあの熱気にマッチしたけれど、四十代の自分はヨーロッパ諸国に新たな感動を覚えるかもしれない。
二十代には興味のなかった建築物や美術館も今なら見てみたい。

2023年は、是非旅行の年にしたいと
コロナの収束と貯金を願いながら、思う。