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【野草を喰う】セリ摘みに思うこと


この春の大きな収穫の一つは、ランニングコースの傍らに、野草摘みを楽しめる場所を見つけたことです。散歩の犬が入らず、除草剤の心配もないとなると、なかなかどこでもいいというわけにはいきません。良い場所を見つけました。

昨日は若い友人が、胃を悪くしたというので、ふと思いついて「あなたの家のそばにセリが生えてるけど」と言ったら、絶句されました。詳しく場所を聞かれなかったところを見ると、自分で採る気はないようでした(笑)



お寺の脇を流れる小川のほとりに、そのセリは生えています。喜び勇んで摘み帰ってみると、10何年か前に親しんでいた場所のものよりも、少し香りが弱いようでした。

野生の物って、土壌の違いや標高の違いで全く味が変わります。紫陽花が、根付いた場所の土壌によって花の色が変わるのは有名な話です。
山里に住んでいた頃には、おばあちゃんたちの言い伝えとして「草餅にするヨムギ(ヨモギ)は、〇〇(集落の名前)よりも高いところで採るもんだ」という話も聞きました。香りが違うんです。
また、ミヤマ〇〇といって標高の高いところの花を、別の場所に移植しても、なかなかあの色は出ないよねえ、という話もききました。

たとえばペットボトルのお茶や、パックされたオレンジジュースだって、
「いつも同じ味わい」であることの方が奇妙だと、私は思ってます。

今の時期、お茶農家さんたちは、茶工場で「荒茶」が出来上がると、「今年のお茶はどんな具合かねえ」とワクワクしながら、一杯の茶を口に含むそうです。なんて豊かな人生だろうと、嘆じるのですが、皆さんはいかがでしょうか。


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