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トーキョー’90クロニクル

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#ツーショットダイヤル

『飯島愛がアイアイ言っている一方で、細川ふみえは、にゃんにゃん言っていた』トーキョー’90クロニクル vol.3 

『飯島愛がアイアイ言っている一方で、細川ふみえは、にゃんにゃん言っていた』トーキョー’90クロニクル vol.3 

「ね、ポケベル欲しくない?」
すぐに怪しげな誘いとすぐにわかったものの、ポケベルは欲しい、喉から手が出るくらいに欲しい。頷くわたしを、キャッチの男はすぐそばの雑居ビルへと案内してくれました。

風俗店や街金の案内表示のあるエレベーターに乗って、連れていかれた先は『ツーショットダイヤル』の事業を行っている事務所。そこでわたしは『ポケベルと交換にツーショットダイヤルのサクラ』をしないかという打診を受け

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『18歳になったらコギャルは引退、20歳になったらもうオバサン』トーキョー’90クロニクル vol.4

『18歳になったらコギャルは引退、20歳になったらもうオバサン』トーキョー’90クロニクル vol.4

同じ学区の高校に通う、ひとつ年上のHIROMIXが”女子高生カメラマン”として活躍していたあの頃。カメラ機能のついた携帯電話もなければ、デジタルカメラも普及していなかった1994年、わたしたちの鞄にもまた、レンズ付きフィルム『写ルンです』と、お気に入りの写真を差し込んだミニアルバムとが必ず入っていました。

それらを持ち歩いていた理由は二つ。ひとつには、ストリートで知り合った同じ年の女子高生たちと

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『ウリ』は『ウリ』でも多くは『切りウリ』だった。トーキョー’90クロニクル vol.6 

『ウリ』は『ウリ』でも多くは『切りウリ』だった。トーキョー’90クロニクル vol.6 

海外で売春婦スタイルというと、ニーハイブーツにボディコンシャスなミニスカートが定番だそうですが、90年代の東京では“着崩した制服”こそが、その証でした。

制服を身につけて道をただ歩いているだけで「いくら?」と声を掛けられ、電話ボックスで友達にポケベルを打っていると、ガラス越し指を三本突き立てられる。メディアで扇情された『女子高生=援助交際』というイメージを、脳内にすっかり刷り込まれた中年男性たち

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