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私立小学校 キリスト教の小学校の雰囲気

みなさま、ごきげんよう。
理科好きりかママです。

私立小学校には、仏教やキリスト教の教えに基づいている学校が多く、
信者である必要はありませんが、学校の根幹部分には、それぞれの宗教の特徴が刻み込まれており、ふとした時、生徒の雰囲気や行事のようすなどにそれらが反映しているな~と思うことが多々あります。

小学校の校風がお子さまにあうかどうかは大切なポイントになりますので、少しでも参考になれば幸いです。

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キリスト教系の小学校、いくつ思い浮かべますか?
カトリック:雙葉、白百合、暁星、光塩など
プロテスタント:青山学院、東洋英和
聖公会:立教、立教女学院、香蘭

同じキリストの教えに基づく学校ですが、雰囲気はかなり異なります。

では、どんなところが違うのか・・・

(エピソード1)
私自身はカトリック系女子校出身です。小学校~高等学校まで通いましたので、かなり、カトリックの雰囲気が刻み込まれているなと最近、よく感じます。
例えば、入学式。
入学式では、列になって入場し、座席に着席。途中で一人ずつ名前を呼ばれる場面では、しっかり右手を挙げて大きな声で、はっきりと返事をし、起立する。
全員、幼稚園受験もしくは小学校受験を経て入学しているのもありますが、一人も失敗をしなかった、返事をしなかったり恥ずかしがって声が小さかったりする人はいなかったと記憶しております。同級生と話していたら、「(入学式が)始まる前に練習した気がする」と。新入生のみならず、在校生、保護者、先生方が集うセレモニーですから、「失敗は許されない」雰囲気があります。

一方、別のカトリックではない学校では、「入学式で。お受験したと思えないくらい返事が小さい子がいたり、先生のお話が終わった瞬間に『先生!トイレ!』って。まあ、漏らすよりいいけどさ」といった話を聞きます。
「みんなで楽しく我慢しない。先生のお話が終わってからならいいじゃない。切り替えもできていて」という感じだそうです。


(エピソード2)
授業参観やオープンスクール、運動会での話。
私のカトリックの母校は、保護者が入る場面はすべて「失敗は許されない」「失敗しないよう、練習するのみ」「忘れ物は断固として許さない」という特別な日として設定されていました。
授業参観やオープンスクールでは、忘れ物をしないように、前日には先生が何十回と注意をします。保護者も「我が子が忘れないように」と、とにかくうるさく注意をします。「忘れないように」と、前日に電話連絡網が回ってきたこともありました。
そして、当日、誰かが何かを忘れたら大騒ぎです。授業参観なら、子どもが隣のクラスに借りれないか必死で交渉しに行き、オープンスクールなら先生が隣のクラスやほかの学年に借りれないか交渉しに行きます。とにかく、「ない」とか「失敗」とかは許されないのです。
運動会も、とにかく何十回と練習をします。「保護者のみなさまに恥ずかしい場面をお見せしないように」と何十回も言われます。自分の子ができなくても、親は「あらあら」と思うだけで、ほかの子ができるとかできないとか、そんな関係ないのでは・・・と思うのですが、実際には、「あなたはできる/できない」「〇〇ちゃんはできる/できない」と、先生も保護者達も言うんですよね。。。

一方、プロテスタント系の学校では、運動会の練習に何十時間も費やさないと聞きます。「自分たちの考えたこと、普段の成果を見てもらいましょう」「心からみんなで楽しむこと、そうすれば見ている人も楽しくなります」と。
忘れ物をしても、「あなたはどうしたいですか?」と、忘れ物をしたことを怒られたり、忘れたことを必死に隠そうとするのではないそうです。

息子の学校では、オープンスクールの水泳の授業で水着を忘れた児童がいたとき、先生は、「忘れ物をして水泳を見てもらうことはできないから、君は代わりに何ができるかな?」と言ったそうです。そうしたら、その児童は、学校見学に来ていた保護者を前に「何か質問はありますか?ぼく、プールに入れないんで」と言っていたそうです。
この話を聞いて、水泳の授業を見てもらうよりずっと大変だし、すごいことをしたんだね、このお友達は、と感心しました。

(一般的に言われるカトリックとそれ以外の違い)
カトリック、プロテスタント、聖公会、それぞれの違いはもっといろいろあるのですが、一言で違いを言うなら
カトリック:人に厳しく、自分にも厳しく
カトリック以外:人にやさしく、自分に厳しく
と言えるでしょうか。

カトリックの学校の運動会では、自分ができないこともだめですが、隣の子ができないこともだめ。注意し合い、全員ができるまで練習し続ける。見に来た保護者も、我が子ができるかできないかだけでなく、ほかの子ができるかできないかも厳しくチェックする。

学校全体の雰囲気も、確かに、カトリックの母校は常にピリピリしています。常に「注意」されますから。
しかし、息子の学校は違います。ほんわかしています。注意はしないで、「
本人が気づく」ことを待ちます。

どちらがいいか・・・

母校出身者や、お子さまをカトリック系の学校に通わせているお母さまたちと話すと、「注意してくれるから、みんなちゃんとできるようになるわよね」と言います。
一方、息子の学校の話をすると、「やさしいけど・・・気づかなかったらできるようにならないってことでしょ?」と。

まさにそうなんです。

先生に注意されまくって、どんなことでもできるようになるのがいいのか。

注意されて直すのはホンモノではない。自分で気づいて、自らを正せてホンモノ。だから、注意は最小限に、先生方や周りの人たちに見守ってもらうのがいいのか。

小学校は6年間と長いです。
校風が合わないと、途中で辞められる方もいるのが事実です。

ぜひ、志望校を決める前に、各ご家庭で、どういう風にお子様が成長してほしいか、家庭の教育方針と同じかどうか、話し合っていただきたいと思います。


今日も最後までお読みくださりありがとうございます。

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