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日記(お笑い好きになったおもしろ遍歴)

お笑いが好き‼️
はっきりお笑いが好きと言えるようになって、いろんな芸人のネタ、トーク、振る舞いを見てきて、おもしろい人たちがおもしろいことをして、笑わせていることがとても素敵だと思っている。

お笑いがみんなに与える影響はすごく大きいと思う。2000年代に生まれて本当に良かった。
M-1グランプリを見られて、それに憧れて芸人になった人達がM-1で笑わせ憧れさせる。このM-1が続く限りこのループが終わらないのが凄く嬉しい。

近年でよく見られるのは、優勝者が更新されるにつれて、「○○でも優勝できる」の○○に入る言葉、条件が多くなっている。若くても、無名でも、おじさんでも、顰蹙買っても、ただその時おもしろかった、それだけでいいんだから。だから可能性を感じて毎年たくさんのコンビが出てくれて、頑張ってくれてる。本当にありがとう。


この間、なんで自分はお笑いが好きになったのかを思い返した。1番鮮明な記憶のうちで古かったのが「THE MANZAI 2011」それ以前の旧M-1を見た記憶がない。優勝のパンクブーブーがおもしろくて、スイミングスクールのバスで友達に耳だけで覚えたネタをコピペして笑わせていた記憶がある。笑ってくれてたんかな。

でもTHE MANZAIは記憶が鮮明なもの、よくよく思い返してみたら、初めて芸人で笑ったのは

綾小路きみまろ

自分でも驚きだったけど、本当にそうで、小学生(より前?)の頃家族で祖父母の家に行き、2世帯で出かけるときに祖父の車でラジオで流れていたのが綾小路きみまろだった。
何を言っていたかは思い出せ無いけど、なるたけの理解はして笑っていたと思う。
たくさんの笑い声が聞こえてきたから、(このおじさんは間違いなくおもしろいことを言っているんだ)と安心して心底から笑っていた。笑いすぎて寡黙な祖父からバチギレられてたかもしれない。

そんな記憶もどこかに行って、THE MANZAI。
パンクブーブーを初めとするほぼ全員のネタを見て笑っていた。
漫才を漫才として見たのがほぼ初めてだったから、全てが新鮮でおもしろかった。本当に「もうやめてくれ」ってなるくらい笑った。

その翌年2012年、オジンオズボーンが出ていた。さっきの「もうやめてくれ」の再来。
ここらへんから、ほぼ無名の芸人にもおもしろい人がいるんだと認識し、昔のM-1にも着手しだす。
そんな中ごめんなさいだけど、第1回と第2回は本当に記憶が無い。見はしたけど難しかった。

そうしていくうちにお笑いバラエティ番組(特にエンタ)にシフトしだし、次第に賞レースは見なくなった。M-1は欠かさず見たけど、みただけで感想も特になく、、、と言った感じ。


そして今、お笑いが好き‼️と言えるようになった理由をくれた、M-1グランプリ2021がやってくる。

それは後で言うわ〜

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