明日も懲りない



シャワーを浴びながら考える。



何度も 「さようなら」 を言った。


沢山沢山 「さよなら」 した。


幾度も 別れがあった。




何度も 「ごめんなさい」 と思った。


沢山沢山 「ごめんなさい」 と思った。


そのうち幾度かは伝える事が出来たし


幾度かは直接伝える事が出来なかった。




何度も 「ありがとう」 と思った。


沢山 「ありがとう」 と言ったし


言えなかったこともある。


言えないまま ここまで来てしまったこともある。




何にも変わり映えのない毎日なのに


沢山の さよなら と ごめんなさい と ありがとう が


生まれて そして消えていく。



ただこうして居るだけなのに


沢山の情報と 物と人とのやり取りは


まるでこの 出しっ放しのシャワーみたいに


降っては流れていくかのよう。




時々 思わず息を止め


「あっ」 と一瞬思う 「ごめんなさい」も


ふっと湧く 「ありがとう」も


ためらっていると あっという間に流されてしまう。

まるで排水溝に吸い込まれるかのように消えていく。


そして私はそのまま


流されてしまった それを忘れてしまうんです。


懲りない私なんです。




生きるって懲りないことなのかしら?


そんなことを考える。




毎日こうして私の一部を シャワーで流しながら、


そしてまた 新しい細胞(もの)を生んでいる。


私をつくっている。


繰り返し 繰り返し。




生きるって懲りないこと。


生きるって忘れること。


変化のない毎日は 


きっとそうやって色々忘れて 


でも 


変化し続けている毎日。




さよならも ごめんなさいも ありがとうも


思ってないことはないんだ。


「忘れる」 ということがないと


生きていけないこともあるんだ。




そして 


流してしまった沢山の その後悔を思い出す時は


きっと 私がこの世を去る時。


だってよく 


「走馬灯のように 今までの人生を思い出す」って


言うじゃない?



だから今は


時々思い出して


うっすら後悔しているくらいがちょうどいい。


それが 生きているってことだから。


それが 生きていくってことだから。












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