恋愛経験がないオタクの話



「オタクに恋は難しい」という25歳女の記事です。


私は恋愛の仕方が分からない。
恋愛経験ゼロだ。
そもそも大前提として人との距離の縮め方が分からないような気がする。

学生時代はクラス、部活、サークル、などと言ったコミュニティがあった。
そのコミュニティは望んで所属した。
(クラスは勝手に決まっていたけれど)

そのコミュニティ内ではある程度人と接する必要があり、
受け身でも友達らしきものはできた。

そのコミュニティ内で息が合う人を見つけては、
出来うる限りで人との距離をコントロールした。

仲良い子とは出かけてみたり、休み時間も一緒に過ごしたり、お弁当を食べたり。

そんなに仲良くない子とは、そのコミュニティでの繋がりしかなかった。
別に嫌いというわけではなく、それ以上でもそれ以下でもなかったという感じ。


しかし、社会人は違う。
仕事がある。
そして出会う人は大体仕事中なのだ。
人との距離は受け身な自分ではコントロール出来るものじゃない。と思った。

"普通の人"はその距離を就業時間外でコントロールするんだろうが(就業時間内でもいいけれど)、
私は前職が女性ばかりの職場、
最近転職した現職は派遣形式(あげく人員の入れ替わりが激しい)であることもあり、尚更そう思っている。

これがもし男性がいる職場で働いていたとして、
これまでの人間関係をほぼ受け身で作ってきた私に何かが起こるわけがない。
私はお金を稼ぐために働いている。
誰かとどうこうなりたいなんて思ったことがない。

そんな人間は、誰かと出会い恋に落ちることはほぼない。
よっぽど誰かに好かれない限りは、
受け身でいる限りありえないのだ。


というか、今、学生時代と社会人とで区別する理由もないくらいに
私はずっと人との関係性に対して受け身なのだ。


そして、こんなことも考える。

仮に距離を縮めたい人がいたとして、私はどうする?と。

ここまで思考が働いては、「知らんそんな経験ないわ!」という結論に辿り着く。

過去にはアプローチしようとしたことがあるにはあるのだけれども、
とにかく受け身では何も起こらないことだけは分かる。

「じゃあ受け身をやめればいいじゃない」、となるのだろうが、
そううまくいかないのがオタクなのだ。
その詳細は後ほど。

男と女はどうやって出会うの?
どうやって仲良くなるの?


そんなこんなで、今、こうして最大級に悩んでいるのだ。
最大級に悩んで爆発した結果がこの記事だ。

あ、念のためお伝えしておくが、
「オタクに恋は難しい」という作品は一切関係ない。
ちなみに心が痛くなりそうなので読んでも観てもいない。ごめんなさい。
ワードだけ引っ張ってきている。ごめんなさい。


●何かにハマりたかった思春期の始まり


私は小学6年生の時に、テレビの中にいる"ある人"に恋らしきものをした。

TBSで放送されていた、
金曜ドラマ「山田太郎ものがたり」の山田太郎だ。


私は山田太郎に、ハマるべくしてハマってしまったのだ。

さて、話は少し遡る。


私は、小学3年生の頃から「天才てれびくんMAX」を見ていた。多分。

正直はっきりとした記憶はなく、
今、Wikipedia片手に書いている。

「プラズマ回遊」に聞き覚えがある。
「未来はジョウキゲン」はタイトルではピンとこなかったが、曲を聞いて「懐かしい!!」となった。
「ダンゼン!未来」、
「約束の場所へ〜シークレッツ・ユートピア〜」、
「セカイをまわせ!〜ぼくらのカーニバル〜」は
タイトルを見ただけで今でもサビは歌える。


この感じだと、
小3で存在を知り、
小4から意識して見始め、
小5〜小6では気合入れて欠かさず見る、くらいの温度感だったように思う。


この頃の私は、多分【何かにハマりたかった】のだ。


親のレールの上で過ごす日々。
早寝早起き大事。野菜食べることも大事。
習い事もした。
友達もそんなには多くなく、あまり遊びに行くタイプではなかったように思う。
長女だったこともあり、テレビは大体教育テレビかアニメ。
それが当たり前であったので、
不満もなければ満足もない、何の感情もない日々だった気がする。

ただ、ただ、普通の毎日を過ごしていたように思う。

25歳になった私が思うに、
この頃の私は親の影響ではなくて
自分の意思で"何かを得たい"という欲求が
はじめの一歩を踏み始めた時期だったのだと思う。

つまりは、"親の好みだけに左右されない"自分の好みが確立され始める時期、
いわゆる、「思春期」の始まりだったのだと思う。


人生で初めて、"自分の好み"を自身で認識し、
自分で好き好んで選択をして見ていたものが「天才てれびくんMAX」だった。


そして、そんな「自分の好み」が出現してきたタイミングで、
出会ってしまったのが「山田太郎ものがたり」であり、嵐だった。


私はハマるべくしてハマった。
私の何もない人生が、急に面白くなった瞬間だったように思う。

雷に打たれた、その瞬間を今でも鮮明に覚えている。


《山田太郎は、横綱コロッケと戦っていた。》


そんなこんなで、私の「嵐ファン」人生が始まった。


●「ハマる」ということ①


ところで、こんなことを言うととても安直だが、
今振り返ると、この時期の私がハマりそうな存在は「頭が良い人」だったように思う。


小学4年生の頃、クラスにめちゃくちゃ頭の良い子がいた。

その子は授業中に当時の体感で先生と語り合えていた。
(今思えば、いくら賢くても大人と小学生が"語り合える"ことは、多分、ない)

当時、私自身も塾に行き始めた頃で、
学校の授業は分かるものも多く、テストはほぼ満点だった。

勉強が出来る、授業が分かることが楽しく、
授業中に先生と語り合える同級生はめちゃくちゃかっこよく見えた。


そんなことを思って生きていた最中、
出会ってしまったのが山田太郎だ。


「頭が良くて」
「容姿端麗で(←みんな好きに決まってる)」
「可愛らしくて面白い(←みんな好きに決まってる)」

そんな要素を持った山田太郎は恐らく私の中で完璧だったのだろう。


誰の先導でもない、
自分で自分の好みを切り開いた瞬間だった。

両親はジャニーズに疎い。
私は当時嵐を知らなかったし、
「山田太郎ものがたり」も観る予定ではなかった。

山田太郎に出会ったのはお風呂上がり。
1話半ばだった。

普段は21時台にはお風呂に入り、22時台には寝ないと怒られるのだが、
金曜日の夜はお風呂に入るのも寝るのも少し遅くても怒られない。
次の日は休みだから、お風呂は22時台でもよかった。

金曜日の夜、22時から始まった「山田太郎ものがたり」はたまたま点いていた。
親が見たくて点けていたのか、たまたまだったのかは定かではない。

ただ、お風呂上がりに見たそのドラマは、30分ほどで私の人生を大きく変えた。


●「ハマる」ということ②


よく、「○○にハマるのは運命だった」とか
「私は幼稚園の頃から○○のファンだ」とか言う人がいるが、それは思い込みだと思う。


○○にハマるきっかけは、
「その頃」の「興味・好み」が○○と共通することがあったか、
家族含む自分の周りにいる人が○○を好きで、
何もしなくても「好きという洗脳」を受ける場所にいるか、
そんなんだと思っている。

だから、大人になって「あの頃は○○に夢中だったな」と懐古する人もいるし、
大人になってもなお現役バリバリでファンをしている人もいるのである。


無論、言うまでもなく私は後者であり、
「ハマり続ける」理由は、調べれば調べるほど楽しかったり、ワクワクしたりしたからである。
そして、そんな感情を得られるものが、他で見つからなかったのである。
ただそれだけの理由なのだと思う。
運命などという綺麗な言葉で表現出来るようなものではなく、たまたまそうだっただけなのだと思う。


嵐に出会った頃の私は、正直嵐を知らなかった。

知らなかった分、調べれば調べるほど楽しくて、面白かった。
そして一通り過去や人となりを調べて知った分だけ、現在の嵐が輝いて見えた。
そして自分の目の前で、現在進行形で、
「楽しい」が繰り広げられていき、未来が楽しみになった。

嵐のファンはよく「嵐は今が1番最高」と言うが、
それは本当にその通りだったからこそ
(少なくとも私はそう思っているからこそ)
私はここまで現役バリバリでファンをやってきたのだと強く思う。


●しなければならない勉強と学生生活


私の青春時代を構成している大きな要素として、
嵐の他に強いて挙げるとすれば勉強だと思う。

私は勉強は嫌いだったけれど、
「勉強しなければならない」は当たり前であり、そう教育されてきた。
そこに抗うなんてことは思いつかなかった。

私は県内でも優秀な人が集まっているであろう進学校に行き、
日本人なら全員知っているであろう大学にも行った。

勉強は大嫌いだったけど、結局勉強しか出来なかったのだと今振り返ると思う。

しなければならない勉強と、
大好きな嵐を見ることで日々が終わっていった。

それで当時は満足だったし、幸せだった。


学生生活という意味では、
自己紹介では「嵐が好きです」と言い、
クラスの子に「誰が好きなの?」と話しかけてもらう人生だった。

誕生日プレゼントには、メンバーカラーのグッズをもらい、
ドラマや映画があればその話をして過ごす人生。

"寄せ書き"なる類のものには、「嵐」という単語は必要不可欠だったようで、
どこを見ても「嵐」の文字があった。


私の青春時代はとにかく勉強と嵐で構成されていた。


●「オタクに恋は難しい」現実


さて、話がとっ散らかっていますが、本題。


そんなこんなでたまたま出会ってしまった嵐とともに
10数年を生きてきた私だが、
ここにきて最大の壁にぶち当たっている。


「私には、恋愛経験がない」


よく、「オタクに恋は難しい」というが、私は本当だと思う。

逆を言うと、"本当にオタクな人はそんなにいない"からこそ、
大抵の人は恋愛もできるし結婚もできるのだと思う。

"○○にハマる(好きになる)"ということで感じた「楽しい」や「ワクワクする」といった感情を
他の何かでも同じくらいもしくはそれ以上感じることができたから、人は人と恋愛をするのだ。


異論は認める。

私は、勉強と嵐だけで青春時代を終えて大人になってしまったようだ。


私は恋愛経験がない上に、
恋愛にあまり興味もなかったのでそもそも論外だなあとは思っているが、一旦それは置いておく。


最近、私はマッチングアプリを始めた。
職場に出会いがないからである。


そして思った。

「Twitterで嵐ファン友達を作るのとマッチングアプリで気が合う人を探すのって同じじゃね?」

と。

「同じじゃね?」と思うのに、
自分の中で全く同じではないこと。

これに関して書きたくて、今、長々と書いている。
日本語が下手でごめんなさい。長いね。休憩しよう。フーーーーーーッ。


●Twitter(SNS)とマッチングアプリ①


私はかれこれ13年ほどファンをしている。
そしてTwitterを始めておそらく8年は経つ。
その前にmixiを使っていたので多分10年くらいはなんだかんだでSNSに触れていることになる。


Twitterを始めた時にはすでに嵐が好きだったし、
SNSを通じて嵐ファンの友達ができた。

みんな嵐が好きで、やり取りしている時間は幸せだった。
実際にSNSで繋がった人とコンサート会場で会ったこともあった。

共通の趣味を持った友達、というフレーズはよく聞くが、
実際に共通の趣味(嵐が好きという共通点)を持った友達と繋がっている時間はとても楽しいものだった。

Twitterで何人もと繋がり、リプライを送り合い、仲良くなって、コンサート現場で会う。
顔も本名も知らない子に、「嵐ファン同士仲良くなった」という理由で、会う。

もちろん、本名でやってる人もいるだろうし、顔写真を載せている人もいるだろう。


私は写真の有無や本名かどうかなんてあまり気にならなかった。

「○○さんとはこんなリプライ送り合って意気投合したから会うのが楽しみ!」と言う感情が勝っていたし、不安なんて正直感じたことがなかった。


マッチングアプリも似たようなものだろう。
マッチングした人と会話をする。
意気投合したら会ってみる。
会ったことのない、名前も顔も知らない人に。


うーん。
Twitterでやってきたことと同じだね。


大きな仕組みは同じなのに、
マッチングアプリはどうも上手くいかないね。


●Twitter(SNS)とマッチングアプリ②


Twitterでは、嵐のこんなところが好きだとか日々のツイートが見られた(もしくはアピールした)上で誰かとの繋がりが始まる。

「あの子のツイート共感できる」
「もっと大人数で好き好きワイワイやっていたい」

など、比較的明確な理由があった上で新たな人脈を構築する。


全部、大好きな嵐の話をするため。
嵐の話をしている時間が、嵐に触れてる時間が楽しくて仕方がないから、だ。

今は?


このままだと結婚できないな、などといった
あまり感情のない模範解答のような理由で
マッチングアプリを始めた。

あまり興味はないものの、
自分の年齢と経験の少なさからくる謎の焦りを感じたからという理由で
マッチングアプリを始めた。

始めてみたはいいものの、
相手に求めるものが何かすら分からないくらいに恋愛感情も恋愛経験もないのだ。


オタクである私はここではレアキャラだ。


相手に求めるものは一旦置いておいて、
私に嵐以外、、、嵐以外を求められたら困る。


ここまで読んでくださった方は分かると思うが、私には嵐しかないのだ。あと勉強。

でもほら、勉強に関しては勉強できたとてそれは過去の話。
今、たとえば学校の先生をしていたり研究者をしていたりしたら話は変わってくる気はするが、
勉強なんてものは大学に入ったタイミングで辞めてしまった。多分。

じゃあ私には何がある?


私は、マッチングアプリでマッチングする人と
何を話していいのかが分からない。

あそこには、嵐を好きではない人が山ほどいる。

嵐の話を通して新しい誰かと出会ってきた私は、
嵐の話ができないという環境に死にそうになる。
当たり前だが、嵐を知らない人と嵐の話をしてもつまらないのである。

そして、 嵐という要素をなくすと、
Twitterでしてきた、感じてきたような「あの子と繋がりたい!」と言ったような感情を抱くことができないのだ。


こんな自分を好きになるわけなんてなくて
嫌いで嫌いで仕方がないのだから、
私はマッチングアプリで何を話していいのかが分からない。


好きな自分は、嵐の話を大好きな嵐のファンの友達としているとき。
幸せで、楽しくて、満足できる時間。
Twitterは楽しかった。


嵐を差し引いた自分には何も残らない。

そう、何も残らないのだ。何もないのだ。

嵐以外の話をすると、
就活は失敗、転職も失敗。
少なくともそう思って私は生きている。

「今何の仕事してるの?」と言われたら「よく分からない」と答えてしまう。
まあ、ここに関しては実際転職したてで本当によく分かっていないのだけれども。

仕事に誇りなどない。
ついでに言うと、転職したて+現状雑用みたいなことをさせられていて仕事と呼べない気がしているのもある。


もしかしたら、"自分がこんな"と思っているのかもしれない。
言い方があっているか分からないが、これは多分逆学歴コンプレックスだ。

じゃあもっとバリバリ働くキャリアウーマンになりたかったか?と言われると
そんな自分も想像できやしない。


本当に、【勉強】しか出来なかったのだ。


そして自分の何に落胆して、社会の何に落胆しているかすら分からない。


ただ事実としてあるのは、
「嵐が好き」ということ以外に何も誇れないということである。


そんな人間を、この世の誰が好くのだろうか?


マッチングアプリをする→マッチングする→相手が嵐にそんなに興味ない

となった時点で私に何ができる?

現状、話が合わなくて何もできていない。
そして嵐の話をして人とコミュニケーションを取ってきた私には引き出しがない。

かと言って、単純に
マッチングする→相手も嵐好き!となる

となったところで、
行き着く先はTwitterで言うところの「このフォロワーとは仲良いけどこのフォロワーはそんなだな」の2択であり、
分かれ目は「価値観が合うかどうか」なのである。


●人の価値観


少し話が逸れるが、オタクの価値観が合うことはなかなかない。
これは体験談だ。

オタクではない人が読んだら「は?オタクなんてみんな同じでしょ?」と思うかもしれないが、オタクの世界はそういう世界なのだ。

オタクは大体自分の価値観を認めて欲しくて発信をする。
その価値観を分かち合えてとても楽しいのだ。
仲間ができてとても楽しいのだ。
少なくとも私はそう思っている。

この価値観は、こじらせると厄介なことになる。
こじらせた分だけ、その価値観は唯一無二になっていき、人と仲良くなりにくくなるのだ。

そして、オタク期間が長い人ほどその価値観は固定されていく。

よく、「オタク歴でマウントを取る」なんてワードが聞こえたりするが、
大体取りたくて取っているわけではない。

ただの価値観の相違である。
歴は言い訳に過ぎない。


私は長らくSNSという場所に生息している。
SNSは"何か"を発信・受信をする場所。

私は特に発信をするのが好きだった。
好きというのは、それがある種のストレス発散であり、スッキリするからだった。

自分の価値観が正しいとは思わない。
ただ、自分の価値観は自分の中では正しいのだ。

誰かにこの価値観を布教したいわけでも、求めているわけでもなく、
ただただ思ったことをつぶやいていたいだけなのだ。

そして、その価値観は人とつながって会話をしたり、人のつぶやきを見たりすることで変化していくのだ。

そうして様々に変化していった結果、
私は私の価値観を確立させてオタクをしていた。

こうして完成された価値観は、ほぼ唯一無二に近い。
だから、誰かと100%価値観が合うなんてことはほぼないのだ。

私は今や誰か価値観を合う人を探し、
価値観が合う人とやり取りすることよりも、
とにかく自分が抱えている思いを発信する(打つ)ことに何より楽しさを感じるのだ。

余談だが、私は今、好きな人(大体情報提供アカウント)だけフォローをして、フォロワーがいないアカウントを使っている。
特殊な独り言である。今はそれで満足なのだ。


私はもう何年もそんな場所にいる。
恋愛の1つもせずにずっとそこに居続けてしまったのだ。
一生懸命にそこに居たのだ。
楽しくて、ストレス発散出来るから。
わき目もふらず。


●こじらせた結果の現実


同級生に興味がないわけではない。
先輩や後輩に興味がないわけではない。

「好き」なサークルの先輩だっていたし、頑張ってアプローチしてみたりもした。


でもたどり着く先は毎回「そばにいられるだけで幸せだよね」とか「眺めているだけで幸せ」といった感覚であり、
私は完全に「オタクとしての好き」をこじらせていた。


アプローチをして距離が離れるくらいなら、アプローチしない方がどう考えても幸せ。
近づきたいけれども、それより何よりその人を見ていたいのだ。

気持ち悪いかもしれないが、それが現実だった。

振られて傷つくことを恐れ、
身近な人を、勝手に"ステージに立つアイドル"への「好き」と混合させてきてしまったのが現実だ。


言うまでもなく、先輩に抱く「好き」とアイドルに抱く「好き」は違う。
それは分かる。


私は嵐と一緒にいたいだなんて思ったことがない。(そりゃいられるなら一緒に居てはみたい)
番組が見られれば、コンサートに行ければ、ほんのちょっとのファンサがもらえればそれで良いのだ。


でも先輩は違う。それは書くまでもない。

分かっていたのに、私はその「好き」を同じものと無理矢理みなした。

結果、恋愛経験ゼロの25歳になった。

友達は彼氏と同棲を始めた。
サークルの同期は入籍した。


焦る?いや、うまく焦れないのだ。
どうしていいかが分からないのだ。

分からない結果がマッチングアプリでの戸惑いなのだ。

人とどうやって距離を縮めるんだっけ?
共通の趣味?どうしたって嵐なんだけどどうする?
そもそも私今やり取りしてる人に興味ある?


今までTwitterでやっていたみたいに自分から【嵐好きな人】にいいね押す?
それって恋愛なの?
好きな嵐に触れていたいだけじゃないの?
自分の価値観と合わなかったら大変だよ?
それやるならマッチングアプリなんか使ってないでTwitterやInstagramでやれよって話だよ?

25歳、恋愛経験ゼロな女の前には
高い壁しかないのだ。

オタクは基本的に一方通行だから。
"推し"への感情はもちろん一方通行。
生息地と化するSNSだって、最初は発信か受信かの一方通行だから。
そこでは受け取るのも発するのも自由だから。
自由だからこそ、私は好き勝手つぶやいて発信をし、様々な人の考えや情報を受信してきた。


でも恋愛は違う。双方向。
発信は受信が伴うし、受信には発信が伴う。

相手のことを考えねばならない。

オタクをしていて相手を考えることがないわけではないが、恋愛ほど重要ではない気がする。

勝手が違っていて、無意識に苦手意識すら覚えている気がする。

そして、こんな内容で悩んでいることなんて誰にも言えるわけがない。

何度でも言うが、私は発信するのが好きでSNSを使っていた。
共感して欲しくて、とかではなく、
ただただストレス発散のひとつとしてつぶやきまくっていた。


そんな人間が、誰にも言えるわけないこの手の話を
誰にも言わずして過ごせるわけがないのだ。

だから、せめて、この場所で、
発信させて欲しい。発散させて欲しい。

その感情だけでここまで書いている。馬鹿だね。
本当に馬鹿。


オタクに恋は難しいな。

マッチングアプリってどうするのが正解なのだろうか。


っていう自分の人生に絶望しているオタクの現実。


もう少しだけマッチングアプリでのやり取りを頑張ってみることにする。

オタクの現実の厳しさ。
こんなもの、分かる人が分かればいいよ。

分かる人がいれば多分私は嬉しい。それだけ。

もし、"こんなん"で悩んでいたら、それは私もだから。


でも、私はあなたに「大丈夫」とは言えない。


ただ、私が「こんな私」であることだけははっきりしている。

これをなくしたら、私のこれまでがなくなってしまうから。

これは、良くも悪くも私が生きてきたことを証明するための中身のない記事です。

まあ、「オタク」という面から見れば、
幸せな話なんだけどね。
こんなにずっと長らく夢中になれる存在がいて、これ以上の幸せはないよね。うん。

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