適応障害になった。

6月の中ごろ、私は適応障害になった。
転職して1年が過ぎようとしている中で、いろんな仕事をありがたいことに任せられるようになってきて。どうしたらいいかわからないこともあるけど、周囲の人には「自分で考えてみたら」と言われることも増えて、がむしゃらにやっていたら、ある日突然会社に行けなくなった。

正確には、前兆みたいなものがあった。
・出勤中の電車の中で動悸や息苦しさを感じる
・遅番の日は出勤前に近くのマクドで30分休憩しないと会社に行く気持ちが作れない
・だんだん勤務中にも動悸を感じるようになって、トイレに駆け込むことが増えた
・勤務中に泣き出しそうになるのを堪える
なんだか「普通」ではない気がしてきて、自分でメンタルクリニックを探して受診したところ、適応障害と診断された。
翌日の出勤日には、起きた瞬間から過呼吸と涙が止まらなくなり、親の勧めもあってそのまま私は休職をした。

今は、当時のことを冷静に振り返られるくらいには元気になった。
結局会社を辞めて、パートだけど好きなダンスに関わる仕事に少しずつ取り組んでいる。ありがたいことだなと感じる。

この数か月を振り返るという意味も込めて、適応障害と診断された私が、何にどう取り組んだかをメモ代わりに書き出そう…という自己満な記録なので、読む人はお手柔らかに。

外に出る

最初の1週間はずっと寝ていた気がする。でも「このままじゃ引きこもりまっしぐらでは…」と怖くなり、何かと小さな用事を作って外に出るようにしていた。お菓子買いに行くとか、カフェに行くとか、親の買い物に付き合うとか。
ルールは1日30分は外出すること。何も用事がなくても、ちょっと遠くのコンビニまで歩くとか、無理やりにでも外に出るようにしていた。
外出するためにメイクも軽くするようになったし、太陽を浴びることで少しずつ前向きになったり、生活リズムを整えるきっかけにもなった。
なんなら今でも、体調が悪くならない限りはできるだけ少しでも外に出るようにしている。

運動をする

ずっと家にいると、だんだん暇になってくる。無気力状態から暇な状態になるのは良いことなんだけれど、それはそれで辛い。仕事のことや物事を悪い方向へ考えてしまう時間が増えてしまう。(「休職する」という最初の連絡の時点で上司から復職について持ち掛けれた私は、復職をすべきか暇さえあれば考えて落ち込んでしまっていた)
…というわけで何も考えない時間を作るために、運動をひらすらしていた。
youtubeの宅トレ系動画を見て、1日2時間くらい汗だくになりながら動いていた時もあった。
少し心に余裕ができてきた時には、ずっと興味のあったピラティスにも通い始めた。(最近ちょっと飽きてきたというか、ダンス欲が出てきて続けるかは迷っているけど…)
この際、いろいろ興味のあることはやってみようと、ヨガやジャイロキネシスの体験にも行った。
運動すると、そのことに集中するので、余計なことを考えず、自分と向き合う時間とすることができてよかった。今でも週に数回はストレッチや筋トレをするようにして、日々のことから少し離れる時間を持つようにしている。

ハンドメイド

「何も考えない時間を作る」という意味で、地道な作業に取り組んでみたりもした。ずっと興味のあったダイヤモンドアートはちょっと楽しかったな。わざと難易度の高い刺繍キットを買って、ちょっと嫌になるくらい取り組んでみたりもした。もくもくと余計なことを考えずにこちらも取り組めて、目に見えて成果がわかるのも、達成感が感じられて楽しかった。

読書

たまっていた本を4冊くらい読んだ。メンタルクリニックで発達障害の傾向も診断されたこともあって、その関係の本も読んだり。こちらも、余計なことを考えない時間作りに役立ったり、逆に自分の身の振り方を考えてみるきっかけにもなった。

料理

親の手伝いも兼ねて、できるだけ毎日料理をしていた。
これは今も休みの日に続けている。料理しながら、他愛ない話から重たい話まで、親と話せたこともリフレッシュになった。

メンタルヘルスマネジメント検定の勉強

適応障害という状況にまで陥ってしまった理由が知りたくて、いろいろ調べたら行きついた資格。3種セルフケアの勉強に取り組んだ。自分の状況、職場環境を客観的に振り返る良い機会になった。(勉強して初めて、上司からパワハラを受けていたと気が付いたりとか…)

逆にできなかった・しなかったこと

休職したての頃は時間がたっぷりあったので、映画や宝塚のDVDやらをたくさん観よう…とも思ったものの、これだけは無理でした。
疲れてしまって一人だと集中力が続かなかった。暗い話であれば尚更…。
観ている時は大人しく座っているだけだからなのか、観ながら違うことを考えてしまって没頭できないという悲しい状況に…。
誰かと話しながら、楽しい作品を観るということであれば問題なかったので、そんな感じで映画を楽しむようにはしていた。
それから、暗いことを考えてしまう自分を否定することはしなかった。
考えてしまうのは仕方がないことなので、考えつつ、それをため込まずに誰かに話していたのが良かったかなと思う。(周囲の人は、とりとめもない話をよくぞ聞いてくれたと思う…)

…振り返ると、適応障害になって、何とか抗おうと頑張ったんだなと思う。
正直、適応障害になったことはやっぱり悔しくてたまらない。仕事や生きること、同世代が「普通」にやっていることに対して自信がゼロになってしまった。それは今も、だ。
でもなんとか前に進みたくて、できることから取り組んだ数か月だったんだと思う。
今も適応障害から逃れられたとは思っていない。いつまたあんな風になってしまうのだろうという恐怖が今でも正直ある。働けるようになったと言ってもパートだから、やっぱり周囲を比べて落ち込んでしまう。
それでも、できることから少しずつやっていくしかない。気が付けば少しでも前に進んでいると感じる時が来る。そう信じるしかないと思う。
とにかく今は、好きなことに関われていることに感謝して、無理なく頑張りたい。

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