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アイドルとファンのGIVE & TAKE

先日、私が初めて応援したアイドルグループであるSexy Zoneの初のドーム公演が発表された。
幸いなことに、発表当日の彼らのコンサートを見に行っており、喜びのコメント?を聞くことができたのですが、
「11年かかって(彼らはデビュー11年目)、ようやくみんなをドームに連れていける」等のコメントを聞いているうちに、私は彼らにドームに「連れて行ってもらう」のかあ、とか思って、そういえばアイドルとファンの距離感のnote書きたかったんだよな、ということも思い出して、書き始めた次第。アイドルとファンの間の関係ってGIVE & TAKEであり得るのか?を軸に考えてみたいと思います。
うまいことジャニオタとけーぽオタクの人格を統合しながら書けると良いな(?)

【応援すること、通り過ぎること、思いを乗せること】


突然だが、私はまあまあ飽きっぽい人間である。
前述のSexy Zoneこそ、この6年ほど応援しているが、たぶんそれが最長記録で、これまでスポーツだったり、バンドだったり、他のアイドルグループだったり、いろいろとファンになり、気づくと離れてということを繰り返している。
こんな風に、私の人生に色んな「雲の上の存在」が通り過ぎ、逆に私も彼らの人生を通り過ぎているのだなあ、と思ったりする。

時々、誰のファンでもない人に、「会えるわけでもない人にどうしてそんなに夢中になるのか」「ファンからアイドル(仮)にお金だったり、時間だったりをGIVEするだけの一方的な関係ではないのか」というようなことを(こんなにストレートではないにしても)言われることがある。
まあ確かに、我々ファンは明確にそれなりに多くの時間とお金を彼らに使うわけですが、それはなぜか、と改めて考えてみると
(コンテンツとかの物理の見返りとは別に)「場」を提供してもらっているんだな、と思うワケ。

私はよく、何かのコンテンツを好きになることは、言葉を学ぶことと似ているな、と思う。新しい言葉を学ぶと話せる人が増え、学べることが増えるけれど、何かのファンをやっているときもやっぱり話せる相手が増えて、好きな人の好きなもの、コンセプトに使われているものなど、知識も増える。人によってはコンテンツをきっかけにしなくてもできることなのかもしれないけれど、基本受け身で外交的ではない私にとっては、こういった場の提供は何よりも大きなTAKEなのです。

また、そのコンテンツに「自分の夢や思いを乗せる」というのも、私が何かを応援する大きな目的だな、と思う。
頭痛が痛いみたいなことを言いますが、自分が応援したい何か=自分の好きなもの、考え・価値観に合うものだと思います。
それこそ、BTSの発信するLove Yourselfという考え方に共鳴している人が世界中にいるように、自分の思いに合うものが流行っている、世界に受け入れられているということはすごく簡単に言うと、自分まで肯定されている気がしてとても気持ちよかったりしますよね。
逆に、自分の考え方の変化等によって合わなくなってくるコンテンツもあるはずで、だから「コンテンツを通り過ぎてしまう」「飽きる、降りる」ということも全く悪いことじゃないんだよな、、と今は思います。昔はめちゃくちゃ罪悪感があったけど、、笑
自分の考え方の癖や好みをきちんと整理しておく、というのは他人と関わったり、仕事等で自分の強みを生かしたり(あるいは弱みを補ったり)という上で割と大事だな、と私は思っているのだけれど、直接知っている誰かに分かったようなことを言われると「お前に私の何がわかる!!!!!」と思ったりもするので(ひねくれ)、アイドルでも本でもなんでもいいんだけどさ、何かに投影してなるべく客観視するというのは結構有用な気がしています。

【応援されること(想像)】


ここまではファン側から見たGIVE & TAKEなわけですが、ここからはアイドル(仮)側のGIVE & TAKEに思いを馳せてみようかと思います。
アイドルたちがGIVEしているものは、まあ労働だったり、プライベートだったり、ざっくり言うと人生ですね(雑すぎる)
一方TAKEしているもの。物理の報酬(つまりはお金)以外にあるのか、というところで、思い出すのは2つ。

まずは、先日参加したSexy Zoneのコンサートでの、松島聡くんのあいさつ。
松島くん(ちなみに私の推しです)は、およそ2年前まで2年半程度病気の療養で活動をお休みしていました。それに対して、「待っていてくれてありがとう。これからいっぱいいっぱい恩返しします」「きょうみんなの瞳のきらめきを見られたことがうれしい。今日もたくさんプレゼントをもらってしまった」みたいなことを言っていました(いい子だね、、、)
こちらは好きで待っていたし(むしろ待っていることでプレッシャーをかけたらどうしよう、待っていてもいいのかな、とすら思っていたし)、全然GIVEしたつもりはなかったのに、松島くん側にはきちんと届いていて、「ファンの思い」みたいなものってきちんとアイドルの報酬になっているのだな、、とこれらのコメントを聞いて改めて思ったのでした。(というかここまで明言してくれる松島くんは本当に本当にやさしい)

また、ファンの存在だけでなく、物理的に席を埋める観客や声援もアイドル側のTAKEであるようだ、というのは皆さん感じているところかと思います。
正直、コロナ禍になるまで(というかコロナ禍での無観客コンサート序盤まで)は、「観客の声が力になるよ!」的なコメントってアイドル側のリップサービスでしょう、と思ったりもしてたんですよ。でも、日韓問わず(それどころかスポーツ選手とかも含めて)観客は力になる、という。実際問題(色眼鏡がかかっていないとは言い切れないけど)、無観客と有観客ではアイドル側のテンションも違うように見える。

これを一番に感じたのが、3月に開催されたTXTのファンライブ、MOA X TOGETHER。
このファンミーティングは、TXTにとって、満員の観客を入れた初の単独Lライブ(イベント?)でした。そのアンコールで、リーダーのスビンくんがビックリするくらい、ほんとワンワン泣いたんですね、小さな子どもみたいに。
なんか本当に私はそれを見てびっくりしてしまって、どんなにCDの売上の数字だったり、オンライン上の文字のやり取りがあったとしても、直接ファンを目にすることでしかファンの存在を実感することってできないのかもしれないなあ、と思ったのです。
そして、ファンの存在を実感できないまま活動することが、どんなに難しいかも。自分自身の仕事に置き換えても、やっぱり金銭面の報酬だけではやっていけない側面ってあるもんな、とか思うわけです。誰かの役に立っているっていう証拠(?)みたいなものって必要だよねえって。
思えば、TXTのデビュー曲・CROWNでは「頭からツノが生えちゃっても、自分でそのツノを愛して王冠だと思えばオッケー♩」的な自己愛を歌っていますが(適当すぎん?)、CROWNの主人公がその思いに至れたのって「君」と出会って君がツノを肯定してくれたからなんですよね。やっぱり自分だけで自己愛を完結することってメッチャ難しいんだな、他人からの肯定でしか得られないものってあるよなと思ったりするわけです。


【とはいえ、対等ではありえない】


以上のように、ファンにとっても、アイドルにとっても(こちらは想像でしかないが)、金銭以外のGIVE & TAKEは成立しているようだ、と思います。
が、一方で、アイドルとファンの間にはある程度距離があり、対等ではありえない、ということも自覚しないといけないなあ、と思うことがチラホラあります。特にファンはどんどんアイドルに見返りを求めるようになるというか、エスカレートしがちなので、、、。

前述したMOA X TOGETHER(私はオンラインで参加)の日は、私にとって良くも悪くも忘れられない日です。
自分たちのファンで埋め尽くされた会場を見て涙が止まらくなったスビンくん、「MOAとやっと会えた良い日なんだから泣かないでよ~」と励ます推しのボムギュくんを見て、「アイドルとファンって、こうやって励まし合えるんだな、もらうばかりじゃなくて、応援で少しずつアイドルに返していけるのかもしれないな」と私は思っていました。
そして、ホクホクした気持ちで、ツイッターを開いたんですが、なんだか少しタイムラインが荒れていました。
その日、BTSのメンバーがV LIVEをしていたようなのですが、グッズの扱いが悪い(ザックリ)ということで、とあるメンバーが一部のファンからめちゃくちゃ叩かれていたんですね。

まあ一部のファンが何かに怒っているというのはどの界隈でもあることだと思うんだけど、その時は結構すごくて。
起こった事象そのものだけではなくて、「疲れているんでは、事務所は働かせすぎだ」とか、「前から笑いの取り方がイケてないと思っていた、一事が万事、、、」とか、「音楽活動に専念しろ」とか、色んな方面に派生して、色んなことに怒っている人たちがいて、怒りの渦に本当に本当にびっくりしてしまって。
自分が、ある種の「アイドルとファンの相互影響」みたいなものをスビンくんを通して肯定した直後だったから、コントラストにうわあ、となって、同じアイドルとファンの相互影響でも真逆の形があるんだな、、とがっくりきたのが忘れられません。

当時のBTSは今以上に熱狂のピークだったというか、メンバーの神格化みたいなものもピークにきていた時期だったように思います。
ファンが応援を通して得るものとして「自分の思いの投影先」みたいなことを書いたけど、それって行き過ぎると、アイドル側にないもの、与えられない物を勝手に期待して求めて、それが見返りとして帰ってこなかった時に「裏切られた!」という怒りの感情になるのだな、、、と実感したんですね。

特にKPOPで感じることだけど(競争が激しいからでしょうか、、、)、アイドル側も「ファンを喜ばせよう!」と一生懸命にファンの側に寄ってきてくれるし、ファン側にもヨントンやペンサ会だったり、Weverseでの投稿だったりアイドルに何かを伝える手段があったりする。だからすごく距離が近いと錯覚しがち。(自らとたい焼きの過去を省みる(?))
それってすごい怖いことだな~と思います。私たちは彼らの一部しか見ていないし、知りえないし、だからこそ裏切られることだってあり得ないんだってことを、すっごく簡単に忘れてしまう。

【一生好きでいる必要なんてない】


このように、アイドルを好きでいると、いわゆる学級会というかファンが怒っている!という事象に立ち会うことも多いですね。
でも、思い返すと、怒りって一過性なんですよ。例のBTSのメンバーへのバッシングだって、1週間も経ったころには正直みんな忘れていたでしょう?という。

アイドルファンは、なぜか投資()した分を回収しようとしがちな気がします。応援した子が人気になってほしい、長く応援したんだからファンサが欲しい、等々。
だから、念願のドーム公演が決まったことに対して、Sexy Zoneの菊池風磨くんは「11年かかって皆さんをやっとドームに連れていけます」と言ってくれたのでしょう。
でも、わたしとしては、そりゃあもうドーム公演はうれしいけれど、君たちが立ちたい舞台に立てるという事実が嬉しいわけで、連れて行ってもらえることが嬉しいわけじゃあないんだけどな、というか連れていかなきゃ!なんて思わなくても良いのにな、と思ったりしました。

同時に、菊池風磨くんはこんなことも言っていました。
「いまこの会場にいるとか、ドーム公演の日に会場にいるとかいないとか関係なくて、メンバー、スタッフ、ファンみんなで、一つの夢を共有できたことがうれしい
その言葉を聞いたら、私がSexy Zoneを応援してきた日々や、いろいろあったSexy Zoneのこととかをバ~~っと思い出した。私もデビュー当時から応援していたわけじゃないし、一緒に一時応援していたけどファンじゃなくなった友達もいるし、わたしより後からファンになった友達もいるけど、みんなのドーム公演なんだよなあって。
ファン一人一人のその時その時の応援と、メンバー、スタッフのこれまで一瞬一瞬の積み重ねがたまたま、今度のドーム公演という形になったのだよねって。
たまたま私は今もSexy Zoneのファンで、ドーム公演の発表も聞けたし、ドーム公演も行くつもりだけど、たとえそうじゃなくて、もうSexy Zoneに興味がなくなっていたとしても、それでもドーム公演という夢の一端を担うことにはなるんだなって。

そう思ったら、別にいつ好きじゃなくなってもいいんだなあって肩の荷が降りました。これはもちろんSexy Zoneに対してではなく、今まで好きになったコンテンツや現在進行形で好きなコンテンツに対しても、です。
私の知りえないところかもしれないけれど、あの日の私の応援が誰かの夢になっていれば投資の回収()なんてできてなくてもいいじゃんって。そうやって世の中回っているんだなあって。

私はTXTの「異なる君と僕が同じ夢の下で集まって明日をつくる」というグループ名の由来が大好きなのだけど、これってあながち世界の真理なんじゃない!?と思ったりしたのでした。共有するなら怒りよりも夢がいいよね。そんな場を提供してくれて、今まで好きになったコンテンツたちや、今応援しているアイドルくんたち、あらためてありがとうね。

おしまい。

(良かったら見て行ってください。Sexy Zoneはいいぞ!笑)


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