「BOY•MEETS•PEOPLE」1話

あらすじ

 主人公の下見は、転勤族の父と共に転校先の中学校にやってくるが、具合が悪くなる癖が出てしまい、廊下に飛び出した。下見は腫物のように扱ってくる父親のことや、周りと距離を置くようになった出来事を思い出す。すると、下見に女性が声をかけてきた。彼女は「つばき」と名乗り、下見の事を待っていたと言う。理由を問おうとしたが、迎えの生徒達がきた時に彼女の姿はなかった。
 移動中、下見は椿姫伝説と、居場所を求める人に本人が現れる噂を聞き、会ったのは椿姫だと確信する。本心では人との繋がりを求めていたことを認め、新たな一歩を踏み出そうと心に決めたのだった。しかし、日に日にこの世でないものの存在が見えるようになり……。






 車から降りると、足裏から体が凍るような冷たさがやってきた。
けれど、周りの景色より僕たちの方が、よほど冷えているような気がした。

「ここまでの寒さは、今までのとこではなかったな」

ぼそりと呟いた父さんに、僕は反応が遅れた。

「……うん」

 ぎこちない空気をどうにかするかのように、続けて父さんは言う。

「寒いな」
「うん……」

 僕たちは、いわゆる転勤族というやつだ。
また友達もできないまま、僕はこの中学校を去るのだろう。

「はぁ……っ」

吐いた息が白い。上を見上げると、僕の気持ちのような、灰色がかった雲が空を覆っていた。目線を前に戻すと、父さんが僕の方をじっと見て待っていた。別に待ってなくたっていいのに。

「もういいよ行って」

僕は目を逸らして言った。

「そうか」

父さんの後ろについていきながら、僕は不自然な距離を保って学校に入った。
出迎えた校長に促されるまま部屋に入ると、生暖かい空気が体を包む。茶色い革張りのソファに腰掛けると、校長が話し出す。

「いや~寒かったでしょう?」

「そうですね~。こちらは冷えますね」

 こういう時ばかり、父さんは場を持たせるのが上手い。二人の声をBGMに、僕は世界に一人取り残された。窓の外は真っ白な銀世界だ。

「申し訳ないです、思いの外早く着いてしまって。何処かで時間を潰そうとも思ったのですが……」

「いやいや、とんでもない。ここらには何もないですからな」 

 ハハハ、と小さな体に似合わない豪快に笑いからをする校長に、父がなんとも言えない笑いを返す。 
校長が、後ろの壁時計を見てから僕に言った。

「あと少しで案内の生徒が来るから待っててね」

ドクン……ッ

 言われた途端、心臓が嫌な具合に跳ねる。気分が悪くなってきた。いつからか、転校すると必ず体調が悪くなる癖がついてしまったのだ。当然、父さんはこのことを知らない。

「大丈夫か」 

返事をしない僕に、父さんが安心させるように瞳を覗き込んできた。こういう時だけ、父さんは父さんになる。いつもビクビクして、俺を心配そうに見る癖に。僕は、途端にイライラしてきて、突っぱねるように言った。

「僕、外にいていいですか?」

僕は、校長の方を見て言った。隣で、父さんが目を見張ったのがわかったが、気にやしない。

「外は寒いぞ」

「いいよ、別に」

「本当に? もう少しで、迎えのクラスの子が来るけど」と、校長。

「大丈夫です」

 僕は立ち上がってドアに飛びつく。気持ち悪さが込み上げてくる。父さんの静止の声が聞こえたが、僕は勢いのままに校長室を飛び出した。後ろでにぴしゃりとドアを閉める。

「はぁー」

 吐いた白い息が、瞬く間に空気に紛れていく。自分の行為が大人げないことはわかっている。

やり過ぎたかと、少しドアを振り返る。中からごにょごにょと二人の話声がする。

「すい──ん──恥ずかし────なもので……」
「いや──この年頃の────難しい─からねえ。きっと──────良いんですがね」

ほらやっぱり、父さんは僕なんかちっとも僕を見ていやしない。僕のことは全て腫物扱いだ。時たま僕から見える母さんの面影を探している父さんが嫌だった。他の人間だって、僕のことを表面しか見ていない。

僕は扉から体を離し、あてもなく歩き出した。

 小学生の時、本当に仲が良い子がいた。お互い戦隊もののアニメが好きで、直ぐに意気投合した。転校する時には、これからもずっとやり取りをしようと言ってくれて、年賀状のための住所も交換した。でも、実際に送られてくることはなかった。僕は、何か悪い事でもしてしまったのかと自問自答したけど、何もわからなかった。

 楽しいのは最初だけ。徐々に歯車が狂っていく。学校の流行りも違う、共通も話題もなくなる。夢のような時間がウソのように霞んでいき、いつもぱったりと連絡が途絶える。

 そこから僕は変わった。変に愛想を振りまいてニコニコするのを止め、人からの誘いも全て断った。始めは、物珍しさからか声をかけてきた人も近寄らなくなり、僕の周りはメントールのようにスース―した。

 俯きながら歩いていると、つま先ゴム部分の青色が目に入った。新品特有の、キュキュッと言う音が廊下に反響していく。

僕だけの静かな世界────。

「こんにちは」

 突然かかった声に、僕はびくっと前を向いた。綺麗な黒髪の女の人が、廊下の窓に体を向けながら、僕を見ていた。一応後ろを確認したけど、やっぱり僕しかいない。

 会釈をすると、女の人は透き通るような声で、もう一度挨拶を繰り返した。さすがに僕も返さなければいけないと思って、

「こ、こんにちは」 と、ぎこちなく返した。

「君、名前は?」

 女の人は、曇り空が似合わないくらいに朗らかに笑った。胸元には、陶器のように真っ白な肌を引き立てるような、赤いリボンがついている。

「下見……、です」

「下見くんっていうんだ」

 シンとした廊下に、彼女の声は解けるように消える。なるべく人と話したくないはずなのに、僕は会話を続けてしまった。

「あの、先輩は……」

「え、先輩?」

 彼女は目を丸くしてから、「センパイ…せん、ぱい」と舌で転がすように言って、おかしそうに笑った。リボンの色が違うから、二年生か三年生だと思ったのに、何か変なことでも言っただろうか。

「えっと……?」

「なんか新鮮な響きだね、それ」

「はぁ」

「せんぱい、だって」

 まるで他人事のような物言いをした先輩は、ちょっと変わった人だ。先輩は、とてつもなく美味しいデザートに出会ったかのような顔をして、「せんぱい」と、リピートしてから僕に言った。

「つばき」
「えっ?」
「つばきよ。みんなそう呼ぶもの」

 苗字、ではないよな? 下の名前だけ名乗るとは、やっぱり変わった人だ。

「あの、つばき先輩はどうしてこんなところに?」
「待ってたの、あなたを」ニッコリと先輩は言う。
「え……僕を?」
「そう、待ってたよ」

 なぜ僕を? そう言おうとしたとき、

「おーい、君転校生―?」
と声が聞こえて、声のした方向を見た。廊下の曲がり角から、僕と同じ学年カラーのリボンをつけた女子が歩いてくる。その横にも一人。後ろからは、男子二人が小走りで追いかけている。随分と豪華なお出迎えだ。

「君、転校生の下見君だよね」

先頭にいた、二つ縛りのメガネの女子が話しかけてくる。

「そう、ですけど」
「私、クラス委員の野中。これからよろしく。仲良いのが、みんな会いたいって来ちゃってさ。こっちは三森」

はちみつ色の髪をした三森と紹介された女子は、ニカッと僕に手を振りながら言う。

「よろしくねー」
「うぉっしゃー男子だ! ほら見ろ、男だっただろー」

 俺の方に男子の一人が突進してくると、「俺は北里」と僕の肩に手を回してきた。
「俺、男子が来るに賭けてたんだよ」

 なんだ、賭け事扱いなのか、と冷めた気持ちになる。

「やめなさいよ、あんたのせいで下見君が怖がってんじゃない」
「あっ、えっ? わりっ、つい俺の悪い癖で」

ホントごめん、と手を回したまま土下座されるんじゃないかってくらいの勢いで頭を下げるもんだから、こちらも巻き込まれてお辞儀状態になる。

「あっ、い、いや、大丈夫ですから」
「北里くそ迷惑! なに下見くんまでお辞儀させてんの」
「いてっ! 何すんだよ三森」

 三森さんのおかげで、北里君の腕が解かれた。そのお陰で姿勢を戻せた。

「ねえねえ、下見君は東京から来たんでしょ? 冬って雪このくらい降るの?」
「いや、さすがにこんなには降らないですけど」
「どのくらい?」
「去年は三センチ、だったかな。直ぐに雨に変わることが多くて、あんまり積もったの見たことないです」
「それいいなー」
「なぁ〜三森ばっかり話してずりぃよ」

横で北里君が口を尖らす。

「アンタだってこれからいくらでも話せるでしょうがっ」
 ヒィッと僕に身を寄せた北里君は、僕の耳元に囁いた。

「女子ってさ、チョーこえーじゃん?」
「はあ…」
「いやちゃんと見て? 鬼のような面してんだろ? オレらのクラス女子の方が多くてさ、まいってんだよ。だから仲間が欲しかったわけ」
「そう、なんです…ね」

 隣で目を吊り上げていく三森さんの顔を伺いながら、何とか返事をする。

「てか敬語止めね? 俺らタメだろ」
「全部聞こえてんだぞ北里っ」
「ひぃいいっ」

 途端にぬくもりが離れて冷たくなる。

「こら止まれ北里っ」
「あ、ちょっと三森! ちょ、やめろって」

 二人は僕の前で追いかけっこを始めた。僕は、目の前で繰り広げられたドタバタ劇をあっけに取られて見ていた。

「あいつら騒がしくて、驚いたよな」

 北里君よりも身長の高い男子が、俺に話しかける。

「俺は河合純。よろしくな、下見」
「よろしくお願いします」
「敬語はいいって」
「ああ、そっか」
「変わったやつだな下見は」

と、僕はつばき先輩の事を思い出して後ろを振り返った。

「あれ……?」
「ん? どうしたんだ?」

 先輩がいない。辺りを見回しても、誰もいる様子はなかった。今の今までここにいたのに。

「いや、何でもない……」

 先輩のことを聞けばいいのに、何故か僕は口に出さなかった。つきさっきの事が、急に幻のように朧げになってきたからだ。もし幻覚で、初日から変に思われるのも嫌だった。 
 北里君達が来た方向に向かうように、僕たちは歩いて行った。前からは騒がしい声が聞こえてくる。
 職員室と、学生の棟を繋ぐ渡り廊下に差し掛かると、一気に気温が冷え込んだ。

「大丈夫か?」

河合君が、腕を摩った僕に声をかけた。

「平気、ありがとう」

 たわいもない話をしていると、

「下見助けてェエエッ」

と、三森から逃げてきた北里が、俺の背に隠れる。

「北里、ひきょーなやつめ」

 背中越しに、北里がべーっと舌を出しているのがわかった。

「ふふ」
「あ、笑った」
「え、うそうそうそ!もう一回、下見もう一回笑って」

 と、後ろから北里が俺の顔を覗き込む。

「む、無理だ」
「減るもんじゃないしさぁ~」
 北里の顔が必死過ぎて笑いが込み上げてきた。
「あはははっ」
「アンタの顔が面白いって」
「はぁ?そんなわけねぇだろ。なぁ?」
「おかしいっ…おかしいって」

 もともと目がでかいくせに、目が飛び出るくらいかっぴらくのは滑稽だから止めて欲しい。

「ええええっ、そんなぁ~。純ちゃんはそうは思わないよな?」
「思う」
「即答かよっ、裏切り者ぉおおお」
「あはははっ」

 僕は久しぶりに温かい空気を感じながら、ひとしきり笑った。

「そうだ」と野中が仕切り直す。
「下見君、さっきあの木見てたでしょ」
「あ、うん」

 幹がつるつるとした感じの、立派な木だ。

「この木はね、椿姫ってみんなに呼ばれてるの」
「え、椿姫?」
「そう、この学校の守り神的存在。下見君は、椿姫伝説って知ってる?」
 僕は首を横に振った。
「なんじゃい椿姫伝説って」と、北見。
「お前知らないのか……」
「何だよ、そんじゃ純ちゃん知ってんのかよ」
「おバカなお前とは違ってな」
「純ちゃんひどいぞ! 幼馴染に向かって言っていいことと悪いことがある!」
「はいはい、いつも通りの二人はほっておいて」
「「おいっ」」
「この木には椿姫の霊が宿ってるんだって」
「なんだよそれ」
「簡単に言うと、昔この地域を治めていた領主の娘に椿姫っていて、家臣の人と両思いだったの。でも姫の父親はね、仕えてる主人の方にも椿姫を嫁がせる約束を、勝手にしていたの」
「うわヒデ―」
「その事を知った家臣は、裏切られたと思って椿姫側に攻め込んでいった。そして、戦いの原因を作ってしまった椿姫は本当のことを告げられないまま自ら命を絶っちゃったんだ。で、この木がその姫の生まれ変わりってわけ。ロマンあるっしょ?」

「へぇー」と河合が言う。

「実はこれにはプラスアルファの話があってね、居場所を求めている人の前には椿姫ご本人が現れるんですって!」

 思わず僕は野中の方を見た。

「あっ、下見君も興味ある感じ?」

と野中に問われ、「あ、いや」と口ごもる。つばき先輩とのやり取りが、今、鮮明に蘇ってきた。あれは現実だったんだ。

「俺信じねぇ。そういう霊とかノーセンキュー」

と、北里が震える声で言った。

「ふ~ん良いこと聞いた」
「三森何っ、マジやめて」
「ところで、何で居場所なんだ?」と、河合。
「これはあくまで私の予想だけど、椿姫は好きな人との未来の居場所を手に入れられなかから、その分誰かを導いてあげたいんじゃないかなって思う」
「さすがはクラス委員長だな」
「まあ……ってクラス委員関係ないわっ」

 僕は木を眺めながら、あれは椿姫だったんだと確信した。
 だって僕は、自分で他人を避けておきながら、やっぱり心の奥底では繋がりを求めていたから。ただ安心できる誰かのそばにいて、一緒に笑っていたかったんだ。

「あ、今回は下見の笑ってる顔見れた」

と、北里が言ってくる。

「えっ? 笑ってた?」
「めっちゃ、ニヤついてたぞ。もしかして、ここに転校して良かったかもって思っちゃったり?」
「うん……そう、かな」
「おお、おおっ! そうだろう。この北里様と一緒にいれば、バラ色の学園生活が送れるぞ」
「女子を敵に回すスキルは身につくかもな」
「もう純ちゃ~ん。下見! なんでも相談してくれていいぞ」
「頼りなっ」
「三森てめー」
「あん?」
「すいませんでしたっ」

 僕の背中でがくがく震える北見を見て、河合と目を合わせて苦笑いする。

「ねぇ下見君、これからみんなでお昼食べに行かない?」
 と、野中が言った。
「行きたいな」

 もう一度、信じてみたいと思ったのだ。椿姫が導いてくれたこの場所を、この人達を。

「よっしゃ! じゃあ俺先に席取ってくる。純ちゃん行こ」
「おお、下見も行こうぜ」
「うん!」

 雪が降ってきた。きっとこれは椿姫の、いや、つばき先輩からの応援に違いない。
 僕は、椿姫に心の中でお礼を言って、新たな一歩を踏み出した。



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