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ここで学んだこと/インターン日記38日目


【実際これを投稿する今日は、インターンを終えて浜松に戻ってきた日である。この日記は、インターン38日目に、原泉で書いたことである。】



原泉アートデイズ、第一週目は無事に終わり、現在は明日を第二週目の開催日に迎えようとしているところである。私は、アートデイズ休業日の月火水と、オフをもらった。月火は、浜松へ行き、今日水曜日は原泉のレジデンスで洗濯物をしたり、掃除をしたりして、まったり過ごした。浜松には自分のパートナーや仲間たちに会いに行くという目的と同時に、暖かい服を持ちに帰るという目的と、髪の毛を赤に染めるという目的までも果たした。人生で初めて全頭ブリーチをして、髪の毛を赤く染めた!リフレッシュにもなったし、新しい自分になれた感じがするのがすごくうれしい。

原泉アートプロジェクトでのインターンも、あと4日となった。4日目には帰るから、正式にはあと3日。あとは最後の力を出し切り、まとめの期間をきちんとやり遂げることだ。

この一か月は、私にとって、衝撃と、インスピレーションと、初めての体験と、気づきと、自己発見と、閃きと、カオスなどに満ちていた。毎日が異なっていて、毎日がユニークで、毎日が充実していた。密なコミュニケーションに満ちていたし、毎日違う人に会い、違うものに触れるから、自分の中の語彙のバラエティが増えたように感じる。自分がいつもいる場所から離れて暮らすと、(環境を変えると、)それだけでこんなにもインプット/アウトプットする語彙や表現が変わるんだということを実感した。インプット/アウトプットの内容やそれを介する言葉や語彙が変われば、人間自体も変わらざるを得ないんだなあと、改めて、自分を取り巻く環境がいかに自分に影響をもたらすのかということを実感した。


ここ、原泉で出会う人の「人間力」のアベレージは、高い。
私が人様の人間力を図る権利なんてないと思うけど、言わせてほしい、私の個人的な意見。このインターンで出会う皆さんはほんとにそれぞれユニークで、魅力的であった。人間力が高い。(ちなみに「人間力」というワードチョイスは、原泉アートプロジェクト参加アーティストの北見美佳さんから頂戴致しました。)原泉アートプロジェクトは大きく分けて、ディレクター、アーティスト、サポーター、地域の方々、行政のサポートにより成り立っていると言えるだろう。もともとはバラバラに点在していた個人が、ディレクターの方と繋がったり、アーティスト間で知り合い紹介しあったり、たまたまプロジェクトを見つけたりして、色んなルートで原泉アートプロジェクトにたどり着き、今協力して一つのプロジェクトを作り上げている。ディレクターの方のビジョンやコンセプトが魅力的で、ブレずに一貫しているため、それに共感や共鳴をした人たちが、それぞれなんらかの覚悟を決めたり決意をして、このプロジェクトにコミットしている。私もそのうちの一人だ。そう、ここで会う人には、「覚悟がある」のかもしれない。覚悟があるということは、その人の思考に軸のようなものや判断基準がある。そしてそれをサポートする経験や知識などもあるのかもしれない。だから、その人たちと過ごしたりコミュニケーションをとるのはすごく楽しかった。それぞれに芯が感じられて、その人の雰囲気があってそれを感じられて、それが多種多様で人それぞれなので、その多様性を感じるのがすごく楽しかった。今まで知らなかった世界や、知らなかった物事、考えつかなかったアプローチからの視点などを、彼らを通して自分の中に取り入れることができたのがとてもよかった。視野を広げることができるということは、幸せなことだと思う。考えることや気になることが増えるから大変にもなりうるかもしれないけど、より多くのことを知ったうえで何かを決断できたり、選ぶチョイスが増えるということや、より良いチョイスを選択できる余地を与えられるという点において、それは幸せなことだと感じる。人間力が高い、多種多様な人々と時間を共有できたことは、自分にとってとてもありがたいことだし、ここで出会った皆さんのおかげで私は自分をいくらかアップデートすることができたのではないか、と思う。


「人は、それぞれみんな違って、みんないい」ということも、原泉アートプロジェクトのサポーターとして一か月間滞在させていただいたうえで改めて気づかせていただいたことである。私は何度も、「今の自分」というものが嫌になった。アートについての知識が少ない自分、体力が少ない自分、マルチなタスクに対するエネルギー配分が下手な自分、他人に気を使いすぎて疲れてしまう自分、もっと何かを解き放ちたいけどそれをできずにいる自分、、、。それを考えれば考えるほど滅入ってしまった。それに、そういうマインドというのは、肉体的に疲労がたまればたまるほど、もっと自分を支配するようになってしまう。疲れがたまって萎えながらもタスクを淡々とこなしていたある夜、一人のサポーターさんがそのタスクを手伝いに来てくださった。その方は、私ではないインターンの方と話しながら作業を進めていた。(その間、私は別の作業をしていた。)彼らが話しているのをまるでポッドキャストのように耳に挟みながら、私は自分の目の前の作業をしていたのだけど、その話というのがとても私の心に刺さった。
「自分は、何かを創るということや生み出すということに興味がある。でも自分がそれを率先してやるというよりも、その過程やその姿を見るのが好きだ。アーティストさんがしているようなことは自分にはできないけど、それを支えることは自分は得意であるし、できる。だから自分はここへきて、その場で必要とされているであろうことをする。自分の役割を明確にしてそれをやりたいと思う。」
といった趣旨のことを話していた。なるほど、と思った。「今」の時点で、自分が「できること」と、「できないこと」、「やりたいこと」、「やりたくないこと」、「得意なこと」、「不得意なこと」をしっかり知ること、そしてその場所においての自分の役割をしっかり見極めることが大事だということを改めて感じさせられた。私の場合、「なぜ、ここに来たのか/なぜここにいて、なぜこれをしているのか」ということも大切だった。自分以外の誰かと共に協力して何かを創る、つまり1つの目的やビジョンに向かって集団で一致団結して動くとき
は特に、その歯車のなかでの自分の役割みたいなものについて考えることで自分をそこに存在させる意義の認識にもつながるし、大事なのかもしれない。そうすることで、「あれもこれもやらねば/やりたい」というような思考の頻度は減り、自分の分野のタスクにより集中してそのタスクのアウトカムの質も上げることにつなげることができるのかもしれない。
といったように、自分のことを俯瞰して観察して、自分について知り、自分の役割についてしっかり自分で考えたうえで行動することを学んだ。


もっと、力を抜いて、力まずにいていいということも、あるサポーターさんに教えてもらった。その方にあって、その日に密度の濃いコミュニケーションを取って、すっごく楽になった。理想の自分、現実の自分、みたいなことを考えるのをやめてもいいんじゃない?といったようなことを私にいってくれて、私自身の中にあったしがらみやもやもやみたいなところに、その言葉の矢がパッカーンと刺さって、それらを解放してくれたのだった。それらを解放した時にはじめて生まれるクリエーションや、コミュニケーションや、ワールドがあるのであろう!!!とその時すごく思った。

今の私は、前より軽くなった。いくらか、軽くなった。なんだか気持ちがいい。色んな悩みや不安がないわけではないけど、以前よりはシンプルになったと思う。今私はまた、なにか「表現」をしたいと思うようになった。とにかく表現をして、自分の内面と、外界とのはざまで、見えない神秘的なコミュニケーションをしてみたいななんて、淡い好奇心を抱いたりしている。やってみる。日常から、まずは意識しながらやってみようと思う。


本当にいろいろな気づきをくれた原泉アートプロジェクトでのインターン。感謝している。
ここには書ききれないほどのストーリーがあるけど、今日はここまで!

SEE YA!!!


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