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まなざし(3) 幸せが崩れる日

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「皆さん、もう知っているかと思いますが……、佐渡さんが、昨晩、亡くなりました……」

最初に彼女の訃報を聞いたとき、私はクラスメイトたちが「シン……」と担任の北村先生を言葉に耳を傾ける中、「えっ」とそれはもう自分でも不思議なくらい大きな声を上げてしまった。

「な、なんで? うそでしょ……?」

幸いか不幸か、昨日の晩は両親が家にいなかった。有給を使い、二人で旅行に出かけたのだ。だから今朝も、私は家に一人。私は携帯電話もスマートフォンも持っていないため、家にいる時は固定電話しか使わない。
それに加えて、うちはクラスの連絡網や友人宅からの電話に疎い家庭だ。ずっと家に引きこもっていれば、外部からの情報が遮断されるというわけで。
とにかく私は、今朝学校に来るまで、歌の身に起こったことを知らなかった。クラスの友達のほとんどは、昨晩、もしくは朝いちの知らせで、そのことを知っていたというのに……。

「どうして?」
なんで? と独り混乱している最中に、北村先生が私を一瞥してから再度口を開いた。
「佐渡さんは……昨晩入浴中に眠ってしまっていたそうです。それで——」
先生が、涙で言葉の続きをぐっと詰まらせる。
聞かなくたって分かる。
歌は、お風呂で溺れて死んだんだ……。
歌が、こんなにあっけなくこの世から去ってしまったということにありえないくらい衝撃を受けた。
でも、それなのに。
私には、すんすんとすすり泣くクラスの女の子たちの声が、耳障りで仕方なかった。
そして、「先生も、泣くんだ」って、当たり前のことに今更気づいて。
歌が死んでしまったことよりも、クラスで一人だけ事前に何も事情を知らずに登校してしまっただけで、こんなにも居場所をなくしてしまうものなんだと強く強く思った。
「歌ちゃん……」
ぼそりと、呟いたって、誰にも聞こえない。
私の声は、ここにいる全員の悲しみの渦の中に消えてしまうだけだった。

その日以降、執り行われた通夜と葬式の最中、私は終始ぼんやりとしていて、読経の間も焼香の間も、心ここにあらずといった状態だった。
しかし、棺の前で声を殺して泣き続ける歌の母親を目にした時、目の前がぐらりと歪み、現実世界に意識が引き戻されるのを感じた。
歌の母親に会ったのは、4年ぶりだった。
小学校高学年になってから、あまり彼女の家には遊びに行かなくなり、母親と会う機会がめっきり減ってしまったのだ。
だから、私の記憶の中の「歌のお母さん」は、私と歌が遊んでいる部屋に手作りのお菓子を運んできて、「ゆっくりしていってね、瞳美ちゃん」と優しく微笑む姿ばかりだった。
しかし今の歌の母親は、あれから4年しか経っていないというのに、頰はやつれ、目の下にクマをつくり、悲しみに暮れている。
その姿があまりに痛々しくて、見ていられなくて。
私は瞬時に彼女から目をそらしてしまった。


葬儀場から退出するとき、参列者で特に歌と同じクラブだった友人たちが、歌の母親と隣で彼女の肩を支える父親に、次々とお辞儀をしていた。
でも、その中でもとりわけ歌と親しかった私は、他の子たちみたいに挨拶ができず、ご両親から少し距離をあけて逃げるようにその場をあとにした。
あんなに幸せそうだった佐渡家の日常が、こんなにもあっさりと消え去ってしまうなんて。
ついこの間まで、考えたこともなかった。
初めて歌の家に遊びに行ったとき、お庭に咲く可愛らしい花と、白いお家、優しいお母さんがいることがあんなにも羨ましいと思っていたのに。
(消えちゃうんだ……)
なくなっちゃうんだ。
どんなに幸せな家庭だって、死という絶対的な運命を目の前にしては、砂浜で作ったお城みたいに、簡単に波にさらわれてしまう。崩れてしまう。


親友の死が、悲しみ以上に運んできたものは、まさに衝撃という他はなかった。

続く

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