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幸せのカタチは人それぞれ――映画”Me Before You”を観て

ずっと観たかった映画映画”Me Before You”(邦題:「世界一キライなあなたへ」)を観て人の幸せについて考えたことを書きます。観ていない方はネタバレ注意です。

あらすじ
舞台はイギリス。イギリスを舞台にしたこの作品は、主人公の女性ルイーザと障がいを持つ男性ウィルの心の交流を描いています。でもある日、ウィルが自分の生きる期限を決めていることを知ったルイーザは、ウィルを外へ連れ出そうとするが…

この映画を見終わったあと、愛に溢れた暖かさと、救いようのない悲しみを同時に感じた。この相反する二つの感情が、同時に起こるとは知らなかった。それくらい、心を揺さぶられる映画だった。

それはたぶん、主人公たちが幸せに向き合って自分の人生をつかみ取っていたからだ。

生きる=幸せという固定観念

半年後に命を絶とうと決めていたウィル。その姿からは、果たして生きていることだけが幸せになる方法なのかと考えさせた。

人間は「生」に執着するものなんだと思う。死は怖いし、生きていないと何もできない。だから長寿はもてはやされるし死は忌み嫌われる。私もそう思だった。「自分らしく生きたい」と思いながら、生きていることが前提に合った。

もし、私にとっての自分らしさが失われたら。今までの自分を愛せていたとして、180度変わってしまった自分を愛せるのか。何もできない自分として生きるのは、自分らしく生きるといえるのか。スポーツ万能だったウィルから、首から上しか動かせないウィルに変わってしまって、死を選ぶのは、幸せになるための選択だといえるのではないか。

ウィルのことを愛する両親や、主人公ルイーザはウィルの決心を覆そうとしつつも、最後は彼の選択に付き添ったのも、彼にとってそれが幸せだと思ったからなのだろう。

愛のカタチ

幸せだけでなく、愛し方の多様性にも気づかされた映画だった。死を決心しているウィルは両親から愛されていたし、ルイーザにも愛されていた。ウィルもまた、両親やルイーザを愛していた。

愛すること、と言われて真っ先に思い浮かぶのは、そばにいて寄り添って愛を注ぐことだ。主人公のルイーザはウィルが生きていてくれるだけでよかったし、一緒にいられるだけでよかった。

でもウィルは、ルイーザを愛していたからこそ、自分の面倒を見るためだけに田舎街に閉じ込めておくことができなかったのだろう。

一緒にいられるだけでいいと思うことも愛だし、相手の幸せを重んじることも愛だ。どっちが正しいというわけでもなく、色んな選択肢があるんだな、ということを改めて感じた。

幸せに正解はない

どんな選択でも、ついつい正解を求めてしまうな、と思う。恋愛でも就職活動でも、「これが正解なのだろうか?」と立ち止まって考えてしまう人は多いと思う。一般論での正解というものは確かにあって、それが当てはまると思ってしまう。

幸せに関しても、「生きている=幸せ」もしくは「生きるべき」という価値観の中で生きている。だから幸せのために死を選ぶことには葛藤するし、拒絶反応を示すこともある。

この映画だったら、日常の中で小さな幸せを見つけて過ごすことも幸せで、その才能を磨いて外へ外へと出て行くこともまた幸せで。もしウィルが生きるという選択を取っていたら、ルイーザはその横で生きているだけできっと幸せだった。

でもウィルがルイーザに自由に生きて欲しいと思うのは愛で、その想いを託されたルイーザはきっと自分の人生を悔いなく幸せに生きようとして、それも幸せな人生だ。

きっと幸せな人生に正解なんてなくて、自分で選択したものを正解にするしかない。人の死だけではない。どんな意思決定もすべて。

一般論の正解に流されて選択を怠ってしまうことや、間違えた選択をしてしまったような気がして後悔することはたくさんある。でも、どれも正解じゃなくて、その先の未来を自分で作っていくしかないんだなと思う。

それから、他人の選択を尊重することの大事さも感じた。自分の幸せに向き合って出した結論なら、正解なのだ。それがどんな選択であっても。

おまけ

偶然にもこの映画を見た次の日に、「最後の医者は桜を見上げて君を思う」という小説を読みました。ここでも生き続けることだけが幸せなのか、という視点について書いてあるのでお勧めです。

映画はこちら


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