タナハシ風呂桶店
風呂桶を見たことはあるだろうか。
私の子供の頃から既に風呂の湯船は樹脂製か金属製のものだった。昔は離れに五右衛門風呂があって、夜暗い廊下を歩いて風呂に入りに行くのが怖かった、とは母がよく話していたことだが、私はそんなお屋敷みたいな家に住むこともなく、ごく普通の家で、ごく普通の湯船に浸かっていた。
なので風呂桶というものに入ったことは、温泉旅館などに行った時を除いて、ほぼない。
一方で私は子供の頃、ほぼ毎日風呂桶を見ていた。家のすぐ近くに風呂桶屋さんがあったのだ。
タナハシ風呂桶店は、旧国道から私の家のある路地に入る角にあった。私が子供の頃で既にかなり年季の入った建物だったので、今あれば軽く築50年くらいにはなっていると思う。旧国道側の1階は全面木枠のガラスサッシになっていて、入ってすぐのところにいつもおじさんが外を向いてあぐらをかき、風呂桶を作っていた。
風呂桶を作るといっても、一体何をどうするのかわからないかもしれない。かくいう私もよくは知らない。ただ長年観察したところによると、一定の長さに切りそろえた板を筒状に仮組みして、それを竹の輪で留めているらしかった。たまにお店の横の駐車場でおじさんが、木の板を円形に組んだ桶の原型のようなものを地面に置き、浅くはめた輪に木片を当てて木づちで叩いて押し込んでいたので、多分そういう仕組みなのだと思う。やがて「たがが外れる」という言葉を知り、あのおじさんが叩いていた竹の輪が「たが」だということに気付くと、その言葉の意味が目に浮かぶようにわかった。
近所付き合いのある大人ならともかく、子供の私にはタナハシ風呂桶店とのつながりは限られていた。学校の行き帰りにおじさんの言い方を真似て「こんっつわー」と挨拶するくらいだったのだが、それでも年に1、2回、私がおじさんのところに行くことがあった。それはおがくずをもらいに行く時だった。
田舎で育つ子供のご多分に漏れず、私も動物や昆虫が大好きだった。周りは山ばかり、知り合いに虫採りに連れていってもらったら大木の根元でオオムラサキが樹液を吸っていて、この蝶は捕まえちゃダメと言われただじーっと見つめるようなことが何度もあった。
なので春になると落ち葉や堆肥の山から甲虫の幼虫を見つけては、家に持ち帰って成虫になるまで飼っていた。またカミキリムシやタマムシや鈴虫など、自分の好きな虫は何でも捕まえていた。そしてそれらの虫を飼うベッドとして、おがくずはちょうど良かったのだ。
おがくずなんて風呂桶屋さんにしてみればゴミでしかない。明けっぱなしのサッシの前に立ち、木を削ったり竹をよったりするのに忙しいおじさんにすみませーんと話しかけると、おう、また来たなという感じで迎え入れられ、木片やら何やらが散らばりまくった作業場の床から、バケツいっぱいのおがくずをもらって帰った。
おがくずは強い木の匂いを発していたが、それが虫にとって良かったかどうかはわからない。無事育つこともあれば死んでしまう時もあったが、とにかく私は大量のおがくずがタダで手に入る環境を大いに楽しんでいた。
次に住みたいところを探している時、とある街の商店街で、しめ縄の作り方を子供に教える準備をしている豆腐屋さんのご主人に出会った。その人は本業そっちのけで店の奥でひたすら縄を結っていたので、店の前からすみませーんと声を掛けないと豆腐を買えないのだった。そしてそんなおじさんとやり取りをしている時に、ふと思い出したのがタナハシ風呂桶店だった。
あの店、今もあるんだろうか。昔はそこに思いを馳せて終わっていたが、今はストリートビューというものがある。情緒も何もあったものではないが、とはいえ一度気にしだすと止まらない。前の実家の住所を入力してその様子を見てみた。
風呂桶屋さんは当時とまったく同じ様子で建っていた。しかし黄色地に太字で屋号が書かれた大きな看板は降ろされ、お店を畳んだ様子が伺えた。ただ4枚の古いガラスのサッシはそのままで、閉じられたサッシの向こうに大量の木材が積み上げられたままになっている様子が、ストリートビュー上からもはっきりとわかった。
撮影は2019年6月と書かれている。半年前にこの様子なのだから、今行けばまだあの店構えを拝むことができるだろう。何だか写真を見ているだけで、お店の周りに漂っていたあのツンとした木の匂いがしてきそうだ。
去年の春以来実家に戻っていない。帰省する理由もきっかけもまったく見出せなかったのだが、あの風呂桶屋さんの界隈を見に帰るのもいいかもしれない。ちょうどあのすぐ近くには美味しいおやきのお店もある。何だか新居探しが昔の家に通じていてちょっと不思議だ。
ただ帰るにしても、雪の心配がない季節になってからのことだ。
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