見出し画像

誰もが絹ちゃんで、誰もが麦くんだった。「花束みたいな恋をした」映画レビュー

「これ、わたしの話じゃん。」

エンドロールが終わってしばらくした後、自分が座っていた座面をばいーんと元に戻しながら思わずこぼれた言葉がこれだった。

「……もしかしてわたしって有村架純なの!?」と冗談めかして付け足したら隣にいた友人にはちょっと煙たそうな顔をされたのだけれど、許してほしい。だって、そんなふうにふざけながらじゃなかったら、わたしはTOHOシネマズのふかふかの椅子から、ずっと立ち上がれなかったのかもしれないのだ。

(※以下ネタバレを含みます)

初めて出会った日、絹ちゃん(有村架純)と麦くん(菅田将暉)は、たまたま白いジャックパーセルを履いていた。2人で飲みなおそうと立ち寄った居酒屋の靴箱にそれをしまうときの、遠慮がちな目配せと、微笑み。

「同じ」であること。「白く」あること。その日の出来事が"運命的な"ものであることを、揃いのスニーカーが物語っていたと思う。

本、映画、音楽、舞台……。麦くんと絹ちゃんは、共通の好きを通じて惹かれ合い、隣で過ごす日々を重ねていった。1年遅れでの就職が決まったとき、麦くんは嬉しそうに言った。「これでもう、絹ちゃんとずっと一緒にいられる」。そして「僕の人生の目標は、絹ちゃんとの現状維持です」と。

絹ちゃんは絹ちゃんで、たしかに思っていたのだ。「このままずっと"こういう感じ"が続くのかなって思ってた」、って。

現状維持。
こういう感じ。

それらの言葉が何を指すのかを確かめることのないまま、ふたりの価値観は少しずつ、けれど確実にずれていくことになる。

わたしが思うに、絹ちゃんははじめから、麦くんよりずっと大人だった。

仕事に関する価値観をぶつけ合う大きな喧嘩のシーンで、麦くんは「仕事はつらいけど、生活するためのことだから全然大変じゃない」と言った。それはつまり、仕事は遊びじゃなくて、楽しいだけじゃ生きていけなくて、だからどんなに辛くても地に足をつけてやっていくしかないのだ、ということなのだろう。

だけど実際のところ、先に地に足をつけて歩みを始めたのは絹ちゃんのほうだった。

「はじまりは、おわりのはじまり」。出会ったころから絹ちゃんは、恋のパーティーに浮かれることなく、麦くんとの"おわり"を見つめていた。だから麦くんから花の名前について問われたときも、答えようとしなかった。

生きていくためには仕方ない、と腹をくくって就活を始めたのだって、簿記の資格を取って手堅い仕事に就いたのだって、絹ちゃんのほうが先だった。

そして絹ちゃんは、いつだって、大人な態度で麦くんの言葉を"受け止めて"いたのだ。どんなに喧嘩をしていても、麦くんに強い物言いをされても、絹ちゃんが後に続ける言葉はこうだった。


「たしかにそうだね」
「そうかもしれないね」
「そうだなとは思う」

真っ向から否定せず、麦くんの考えや思いを尊重しながら、丁寧に気持ちを伝えようとしていた。

それなのに麦くんは、一生懸命仕事をして頑張っている俺は絹ちゃんよりずっと大人だ、と心のどこかで思っていた気がするのだ。

それはベッドの中で絹ちゃんに背を向けながら思った「いつまで学生気分でいるんだろう」の言葉にも、意志を持って転職先を決めた絹ちゃんにぶつけた「ダッサ」という否定にも、表れていた。

ふたりは、揃いのジャックパーセルを履かなくなった。玄関に仲睦まじい様子で置かれていたそのスニーカーは気付けば黒いパンプスと革靴に置き換わっていた。

それが、この物語のすべてだと思った。

同じ色、同じ形だったふたりの靴。それは、運命的な出会いを果たしたふたりが、同じ目的をもって同じ道を歩み始めたことの表れだったはずだ。ところが「同じ」だったそれらは、時間の流れとともに、大きさも形も質感も違う別なものになっていた。

"ふたりで"進んで行こうと思っていた道は、いつしか"絹ちゃんの道"と"麦くんの道"になった。

恋愛をしたことのある人ならば、誰もがこの映画に「自分」を見るはずだ。

終電ギリギリまで、好きなものについて語り合うこと。大学をさぼって、三日三晩をひとつのベッドで過ごすこと。大人になるのと引き換えに、これまで大切にしてきたいろんなものをひとつずつ手放すこと。「なんかもう、どうでもいい」と心が麻痺していくこと。

わたしたちが「いつかどこかで経験したもの」が、画面の端々に散らばっている。

わたしは絹ちゃんだった。そして、麦くんでもあった。だから、2時間ずっと、痛かった。

絹ちゃんに完全に感情移入して麦くんを責め立てられたのならば「いい映画だったね!」と爽やかな気持ちで席を立てたのかもしれない。でも、そうじゃない。先に大人になってしまった絹ちゃんを追いかけて不器用に生きていく麦くんにも、わたしがいた。

麦くんと絹ちゃんが時を経るごとに目に映す景色を変えていったように、わたしがもう少し大人になったとき、この作品の見え方も違っているはずだ。そのときわたしは、絹ちゃんと麦くんのどちらに「自分」を見るのだろう。わたしは白いジャックパーセルを、変わらず履き続けているのだろうか。

おわりに

本noteは、一緒にこの作品を見に行った友人のアンサーnoteとして執筆しました。こちらもぜひ読んでください~。


『花束みたいな恋をした』公式サイトはこちらから https://hana-koi.jp/

\サポートありがとうございます/ いただいたサポートは、他のライターさんのマガジン購読や記事を読むために使わせていただきます!循環循環〜!