ブラックコーヒーじゃなきゃいけないって、なんで思ってたんだろう

はじめてブラックコーヒーを飲んだ日のことを、どういうわけか鮮明に覚えている。22歳、大学4年生。第一希望の会社に内定をもらい、1DAYインターンという名目で先輩の営業についていった日だ。

まだ名刺入れも持っていなかったあのころ。商談で出されたのは、透明なプラスチックのカップにはいったアイスコーヒーだった。

わたしはブラックコーヒーが好きではなかった。けれど、お好みでどうぞ、とテーブルの中心に置かれたミルクとガムシロップを手に取るためにはたぶんちょっとだけ椅子からお尻を浮かせながら身を乗り出さなければならなくて、先輩たちが誰もそれらに手を伸ばさない手前、わたしももじもじと椅子に座っていることしかできなかった。

商談の内容は、今はもうぼんやりとしか覚えていない。ただ、飲むべきか飲まざるべきか悩んだ末に手を付けずにおいておいたカップが少しずつ汗をかいていったことと、会議室を出るときに先輩がそのカップに一瞥をくれていたこと、そして帰りの電車の中で「あぁいう場では、必ず全部飲んでね」と微笑みながら言われたことを覚えている。

それから営業職をしている2年間、わたしはブラックコーヒーを飲み続けた。ミルクや砂糖を出されることがほとんどだったけれど、「ブラックコーヒーを飲んでこそ大人なんだ!」と見栄を張って、絶対に手を付けなかった。

社会人3年目の夏の始まり、商談の場所として相手が指定したのは、大きな公園の中にあるカフェだった。こちらがクライアントの立場の商談で、相手は大手の不動産企業の営業マン。いつもはみんなメニューなんか見ずに「わたしコーヒーで」「じゃあ、わたしも」と各々が言うのに、その日は違った。

なぜか先方の営業さんはまじまじとメニューを見つめている。そして少しの間を開けて、はっきりと「僕、コーヒーフロート飲んでもいいですか?」と言ったのだ。

「あ、いいんだ」と思った。なんというか、彼のその言葉にはためらいとか恥ずかしさとか、悪びれる感じみたいなものは一切なくて、ただ単純に「ぼくはこれが飲みたいから飲むんです」という雰囲気だったのだ。

わたしと上司はちょっとだけ笑って、上司はいつも通りアイスコーヒーを、わたしはカフェオレフロートを頼んだ。運ばれてきた背の高いグラスには、アイスカフェオレが並々と注がれ、その上にはクリーム色のアイスが渦を巻いていた。

ブラックコーヒーじゃなきゃだめ、なんて、わたしは誰にも教わっていない。けれどなんとなく先輩たちはみなそうしていたし、そうじゃなければいけないみたいな空気さえあった。

だから、なのだろうか。たいして好きでもないブラックコーヒーを飲むたびに、「あぁ~わたし、大人になったな~」なんて思っていた。

だけどわたしが本当に大人になったのはきっと、あの初夏の日。営業職を辞めてライターになることを決意した何日か後に、自分の意志でカフェオレフロートを頼んだときだったのだろうな、と思う。

今はもう打ち合わせのときに、無理にブラックコーヒーを飲んだりもしない。あ、さすがにちょっと恥ずかしくて、アイスの渦巻くカフェオレもあれ以来頼んではいないのだけれど。

\サポートありがとうございます/ いただいたサポートは、他のライターさんのマガジン購読や記事を読むために使わせていただきます!循環循環〜!